音楽プロデューサーとしてCHEMISTRYやいきものがかりの結成・デビューなどで手腕を発揮する一方で、半世紀を超えるアマチュア野球観戦により野球の目利きでもある一志順夫。連載コラム「白球交差点」は、彼独自のエンタメ視点で過去と現在の野球シーンとその時代を縦横無尽に活写していきます。

全試合放送されるCSで幅広くウォッチ&チェックできる時代に

 今年も全日本大学野球選手権の季節がやってきた。  最後の一枠となった東京六大学は早慶決戦の結果、我が母校早稲田大が久しぶりに出場を決め、まずはメデタシメデタシ。  東都大学リーグも終盤まで縺れに縺れたが、青山学院大が中央大を振り切り(前回で触れた佐々木が逆転決勝3ラン!)、なんとか連覇を狙える位置に立てた。

 本大会は今年で73回目を数えるが、各地のリーグを勝ち抜いた精鋭が集結し、覇権を争うにしては、注目度はそれほど高くない。メディアの扱いも相対的に小さくなり、放送もCSのみというのが実状だ。以前はNHKが決勝戦を生中継していたが、1990年代になると深夜録画放送となり、気がつけば地上波からは完全撤退していた。もっとも、CS放送は全試合網羅しているので、個人録画含め幅広くウォッチ&チェックできるのは有り難いことではある。各リーグの格差もなくなり、地方リーグ代表も決勝にコマを進めたり、ドラフトに指名される選手も増えたので、全国の大学野球事情を俯瞰しながら、じっくりと堪能できる。

1970年代、東京六大学は早慶戦以外もNHKで生中継されていた

 今では考えられないが、筆者が小学生の頃は、東京六大学は早慶戦以外のカードもNHKで全国に生中継放送されていた。ちょうど田淵 幸一(法政一-法政大-阪神)、谷沢 健一(習志野-早稲田大-中日)、荒川 堯(早稲田実-早稲田大-ヤクルト)らのいわば黄金世代がこぞってプロ入りした1960年代後半以降のことで、彼らと比べると小粒になったものの、早稲田大には金子 勝美(大宮、中日)、中村 勝広(成東、阪神)、慶應義塾大には松下勝実(清水東、松下電器=現・パナソニック)、山下大輔(清水東、大洋=現・DeNA)、法政大には横山 晴久(小倉工、東映=現・日本ハム)、長崎 慶一(北陽=現・関西大北陽、大洋)、野口善男(PL学園、大洋)、明治大には井上 明(松山商、三菱重工長崎)、樋野 和寿(松山商、日本鋼管)、立教大には横山 忠夫(網走南ヶ丘、巨人)などの綺羅星のスター選手が在籍、スタンドも学生中心に外野席まで埋まっていて、ブラウン管越しにも活気と華やかさが伝わってきた。

 筆者が大学生時代の1980年代前半までは同様の雰囲気が残っていたと思う。それ以降、スタンドは閑古鳥が鳴く状況が続き、裏寂しさが漂った。鶏が先か卵が先かの話にはなるが、やはりスター選手の輩出と活躍がコンテンツとしての質と価値を担保する最適解になることは確かだろう。今春は久々に20万人を超える観客が来場し復活兆しがみえつつあるので、今後もなおいっそうの関係者の努力と知恵に期待したい。

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