大谷を翻意させた日本ハム・大渕隆スカウトの先見性に感嘆
その後、大谷の進路はMLBに一本化されたという話が周辺から出てきたこともあり、NPB各球団は腰が引け撤退の構えになる。蓋を開けたら結局日本ハムの一本釣り。大谷サイドは当初は頑なな態度を示していたし、やはり無理筋の指名だったのではないかと思っていたところ、フロントの綿密なプランニングとプレゼンが奏功し、土壇場で入団決定の運びになったのは周知のとおりだ。
そのプロセスと内実は分からないものの、二刀流の確約と近い将来のメジャー移籍手形を切って大谷を口説いたのは恐らく事実であろう。こうした大胆かつアグレッシブな提案は、当時の日本ハムという球団フロントの先進性を物語っている。契約条項におけるメジャー手形は珍しくはないが、入団前に二刀流を条件にしたことはかなりの賭けであったに違いない。
なぜなら、先述の通り成功事例なき領域であることはもちろん、チーム内にコーチング含めた育成ノウハウが確立されていたとは言い難い段階での英断は、大谷個人の類まれな才能と心中覚悟の冒険行為だったのではないか。
有名な話だが、拒否姿勢だった大谷を翻意させたのは、日本ハムの大渕隆スカウトが作成した30ページに及ぶ資料「夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~」があったからだといわれている。プロ経験のない大渕氏だからこそ、先入観にとらわれない斬新なアイデアとビジョンをプレゼンできたのであろう。
スカウト道を描いた人気野球漫画『ドラフトキング』の郷原眼力を連想
大渕氏のスカウト活動はまさしくプロフェッショナリズムの極みであるが、このようなスカウト道の内幕は人気野球漫画『ドラフトキング』(クロマツテツロウ 集英社刊)でリアルに描かれている。主人公・郷原眼力は個性的で独自のメソッドを駆使する辣腕スカウト。若手スカウトマン・神木がバディ役である。神木は元プロ野球選手。高校時代「走・攻・守」三拍子揃った選手と評価されていたが、入団前に郷原から「プロでは通用しない」「三拍子揃っているとは何も取り柄がないということだ」と断言されたくだりは、ミュージックビジネスのスカウティングにも通底する。
即ち、平均的な能力より突出した能力の見極めが肝要で、野球でいうと爆肩だったり50mを5秒台で走るなどのスペシャリティ(郷原曰くの“人間離れした何か”)が必要十分条件になるが、それと同様、綺麗にまとまったバンド・サウンドより破天荒だがどこかエッジが効いているとか、いわゆるテクニカルな歌の上手さより声質が陰影に富み特徴的であるとか、そうした一芸的タレント要素に可能性を見出しビルドアップしていくというフォーマットは、プロ野球におけるスカウティングから育成システムの流れとまったく同じ手法だったりする。
投打ともにハイレベルな大谷のケースこそはまるで劇画や漫画の世界、後にも先にもこれ以上のスペックの持ち主は現れない気もするが、ハイブリッドで戦力化しようとした当時の日本ハム球団の戦略の正しさと先見性が今のMLBでの活躍に繋がったことは間違いない。郷原眼力だったらどういう方法論で大谷に対峙したことであろうか?
一志順夫プロフィール
いっし・よりお。1962年東京生まれ。音楽・映像プロデューサー、コラムニスト。
早稲田大学政経学部政治学科卒業後、(株)CBSソニー・グループ(現・ソニーミュージックエンタテインメント)入社。 (株)EPIC/SONY、SME CAオフィス、(株)DEF STAR RECORD代表取締役社長、(株)Label Gate代表取締役社長を務め、2022年退任。
アマチュア野球を中心に50余年の観戦歴を誇る。現在は音楽プロデュース業の傍ら「週刊てりとりぃ」にて「のすたるじあ東京」、「月刊てりとりぃ」にて「12片の栞」等、連載中。