言うまでもなく、杉山は現役大学生。高校野球の監督業と大学生活との両立も大変だった。

 一週間の内、5日を高校での指導にあて、残りの2日は千葉大の硬式野球部での練習に参加した。午前中は東京都世田谷区の自宅から総武線西千葉駅にあるキャンパスまで約1時間半をかけて通学しながら大学の授業を受けた。休みの無い生活が続いていた。

「正直大変でした。責任感で続けていました。アルバイトもできず、遊ぶ時間も無く、今まで貯金していたお年玉などでやりくりしていました。ここ最近で一番お金を使ったのは……バット(笑)。まさに野球漬けの生活でした」

 あまりにも変わった“キャンパスライフ”は、同級生からも驚かれたという。

 春の反省を踏まえ、杉山は打撃練習に時間を割いて得点力アップを図った。毎日マシンと投手を交互に打つ練習を重ねて選手たちはバットを振り続けた。その結果、私武蔵の打撃力は向上。練習試合では2ケタ得点を取るまでに成長した。

 迎えた夏大会初戦、相手は全国的な名門・日大三。序盤は杉山の講じた対策が功を奏した。

「ベンチ入りしないメンバーには、ネットの情報を集めさせて、分析をレポートとしてまとめてもらいました。その中で、フライアウトをとる戦略に決めました」

 エース・尾花が高めの直球で日大三打線を押し込み、5回まで11個のフライアウトを奪い無失点に抑える。対戦した日大三の三木 有造監督も、「うちの打者が高めの球に手を出してしまった。尾花君がいい投球をしていました」と称えたように、戦略通りの試合を演じたのだ。

 しかし、6回に長打から2点を奪われ、0-6で敗戦。大金星とはならなかった。

「監督をやっている以上、やっぱり勝ちたかったです。選手も成長していたけど時間が足りなかった。もし仮に最初から打撃重視の練習を貫いていたら、全国区の投手から得点を奪えていたのかもしれないと思うと悔しいです」

 夏を終え、腰のケガも順調に回復したこともあり、杉山は監督を退任し、再び千葉大の選手としての活躍することを決意した。

 新チームは3年間チームの部長として帯同し、同校中等部の監督を務めていた金子 航平監督の就任が決まった。新監督は城西大城西出身で、関東第一のコーチとして2年、海城高校の助監督も務めあげた経験を持つ。伝統だったOB監督では無くなるが、大学1年時からスタッフとして活動し、就職先が内定した大学四年生の今でも、助監督して練習に参加している石橋 陸が最後までチームを支える。「選手としても、監督としても非常に助けられました」と杉山も語った存在と共に、チームは新たな船出を切っている。

 わずか1年だったが、現役大学生でありながら高校野球監督を続けた杉山は言う。 「今は選手として活躍することが目標です。千葉大は捕手の層も厚いので、出場するのは難しいですが、持ち味の守備をアピールしたいです。将来的には、またどこかで高校野球の監督をできたら嬉しいなと思います」

 杉山の野球人生にとって大きな糧となった1年に違いない。