<秋季北信越地区大会:金沢2-5高岡第一>◇12日◇1回戦◇金沢市民野球場

秋季北信越大会への出場が決まると、金沢の遊撃手・寺下十座の地元・能登町の新村浜の住民たちは、大きな横断幕を作った。「寺下十座」の名と、激励の言葉が書かれた横断幕は、新村浜の一般道に飾られた。

地元の人々の温かな声援を受けて、10月12日に行われた北信越大会初戦・高岡第一との試合に臨んだ寺下。自慢の守備で3つのゴロを難なくさばき、打席でも2回一死一、三塁の場面で見事、同点スクイズを決めた。それでも試合は終始、高岡第一のペースで進み、2対5の3点ビハインドのまま9回裏に突入。

ここまで、高岡第一の先発・高原に、2点に抑えられてきた金沢打線だったが、最終回に攻め立てる。金沢は、8番小谷、9番川本、1番堀の3連打で一死満塁の好機を作ると、2番・寺下に打席が回る。

「絶対に自分が決めてやると思って打席に立ちました。でも、その気持ちが強くなってしまい、空回りしてしまいました」と、寺下の打球はショートライナーとなり、併殺で試合終了。

試合後に、寺下は悔しさをにじませた。

「1月の震災以降、野球ができることの楽しさをより強く感じるようになりました。自分のプレーで能登の人たちを元気づけたいと思っていました。来年の夏は甲子園に出られるようにがんばりたいです」と語った。

今年の元旦。金沢の寮から自宅に戻っていた寺下は、家族と過ごしている時に地震が襲った。その後1週間、避難生活を続け、わずかな食料の中で、体重は大きく落ちた。それでも、家族や仲間の支援によって、再び寮に戻って野球を続けることができた。寺下の両親は、「十座が野球から離れてしまうことを心配していました。今、こうやって野球ができるようになって良かったです」と振り返る。

両親が名付けた“十座(じゅうざ)”の名前には、こんな思いが込められてる。
「十は、縦社会と横社会を大事にするような人に。座は、人が周りに集まるような人になってほしい」――

今、寺下は地元・新村浜の人たちに愛されながら、より強く、大きく育っている。野球の楽しさをかみしめながら、生き生きとプレーする寺下に、浜から大きな声援が届く。