高校野球ファンならば、一度はあこがれるであろう「高校野球の監督」と「甲子園出場」。

 わずか1年半でその夢を叶えてしまった男がいる。愛媛大会を初優勝し、聖カタリナ学園を夏甲子園初出場に導いた浮田 宏行監督(うきた・ひろゆき=53歳)である。

 浮田氏は松山商時代、主に内野手を務め、創価大進学後には捕手として台頭。社会人・プリンスホテルでは小林 幹英(現:広島東洋カープ三軍投手育成強化コーチ)など後にNPBに進む好投手たちをリードしつつ、都市対抗東京代表決定戦で3本塁打を放った球歴を有する。2000年に地元へ戻り、実業家に転じた。

 携帯電話販売会社やカフェの経営、ロータリーや商工会議所青年部の要職を務めた。浮田監督のカフェのチーズケーキは筆者も食したことがあるが、絶品。地域でも評判の店である。

 その傍らで民放ラジオ、テレビ、CATVで高校野球や四国アイランドリーグplusの解説も約20年担当してきた。2015年7月28日に坊っちゃんスタジアムで開催された巨人とDeNAの試合ではボールボーイならぬ「ボールおっさん」も務めている。

 昨年の初頭、そんな浮田氏に高校野球部監督就任のオファーが舞い込んできた。これまで中学硬式松山市選抜チームの台湾遠征で指揮を執った経験はあったものの、「高校野球監督の興味は全くなかった」という。

 オファーしたのは、2021年のセンバツ初出場から一転、2022年6月に発生した部内不祥事後、野球部が実質指導者不在の状況にあった聖カタリナ学園だった。

「世間の目は冷たいよ」

 当時の聖カタリナ学園の野球部の状況は悲惨だった。新入部員は自宅からの通学できる者に限られたため、ほぼ望めなかった(結果、現2年生部員は1名しかいない)。また、今後の野球部の見通しも不透明だった。

 しかし、浮田氏は「ここまでどん底なら這い上がるしかない」と監督就任を受諾。企業再生のようなやりがいのある仕事に思えたからだ。また、携帯電話販売会社の譲渡も決まっており、「これから何をしようか」と考えていた矢先のオファーでもあった。

 また、浮田氏が解説者時代から常に口にしていたのは“野球王国・愛媛の再生”だった。「(不祥事の)報道があった時、残された1、2年生はかわいそうだなと思っていたし、そこからの回復に少しでも携われればと思っていた」

 愛媛の野球を支えたい、そんな気持ちが最後に背中を押した。

 2023年2月1日、監督就任初日。浮田監督は選手たちを前に、不祥事の件をあえて持ち出し、こう切り出した。

「客観的に見て世間の目は冷たいよ」

 高校野球も1つの組織、一丸にならないと強くなれない――。経営者的視点から高校野球を捉える浮田監督にとって、お客様=世間の声は何よりも一番の評価材料。「ほかのどこからも応援されない。完全なアウェイでした」と猛烈な逆風を受けながらも、まずは現状を認め、少しずつでも周囲に認められる行動を続けた。それが聖カタリナ学園野球部にとって最も大事な活動となった。

 日々のボランティア活動に精を出し、学校が地域に貢献する姿を地道に続けた。すると夏の愛媛大会のスタンドには試合ごとに応援の数が増えていった。

「応援してもらっている人たちのためにがんばろうと思います」

 現在、オリックス・バファローズのルーキー右腕として奮闘する河内 康介投手がことあるごとに口にしていた意気込みは、聖カタリナ学園野球部の新たな誓いでもあったのだ。

「1×20」より「1×1×20」

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