10月24日に迫ったドラフト会議。今秋は既に広島が1位を公言した明治大の宗山 塁内野手(広陵)や、関西大の金丸 夢斗投手(神港橘)をはじめとした、大学生が上位候補として期待されている。そんな中、彼らと同じく大学日本代表に選出された選手のなかで社会人へ進むことを決断した選手がいる。国学院大の神里 陸捕手(東海大相模)だ。

 神里は現在DeNAでプレーする神里 和毅外野手(糸満ー中央大ー日本生命)を兄に持つ。高校は地元沖縄から神奈川の名門・東海大相模へと進学。国学院大進学後も下級生の頃からレギュラーを張った。自慢の肩は強肩の証とされる二塁送球1.8秒台をマークし、ディフェンス面でも高い評価を受けていた。

 それでも、今週のドラフトではプロ志望を提出せず、社会人野球へと進むことを決めている。大学日本代表にも選出された実力者はなぜ、2年後のプロ入りを目指すのか。決断に至る背景とプロへの思いに迫った。

捕手転向は門馬監督の勧め

――東海大相模に進学した理由を教えてください

 小学校2年生(2010年)の時に地元沖縄の興南が春夏連覇をして、夏の決勝の相手が東海大相模でした。その時に大城(卓三捕手=現・巨人)選手が沖縄を相手にプレーしているのがかっこよくて憧れて、行きたいと思いました。

――当時の東海大相模は山村 崇嘉内野手(現・西武)や、西川 僚祐外野手(現・くふうハヤテベンチャーズ静岡)らドラフト指名を受けた強打者も多くいました。そんな世代でレギュラーとして出場することをどう捉えていましたか?

 自分は新チームからメンバーに入りましたけど、他の選手は経験もあり、『置いていかれている』と感じていました。みんなに追い付くのにも必死でしたし、キャッチャーもやっていたので、みんなを引っ張るという部分でも苦労しました。

――元々遊撃手でしたが、捕手に転向した理由を教えてください。

 当時監督だった門馬(敬治監督=現・創志学園)さんの進めでした。突然言われて…。それでも内野手は加藤 響(内野手=現・徳島インディゴソックス)もいましたし、今のままだときついなと思ったので、チャンスだと思いました。投手を理解するのも大変でしたし、試合の流れを考えたりするのも大変でした。

西武ドラ1武内らプロ入りした先輩から刺激

――國學院大に進学を決めた理由を教えてください。

 東都リーグに行きたかったんです。兄が行っていた(中央大)のもありますし、首位争いだけでなく、入れ替え戦の厳しさもあるので決めました。実際、入れ替え戦のプレッシャーを感じながらプレーしていました。

――1年生の頃はオリックスの福永 奨捕手(横浜)がいましたが、どんな存在でしたか?

 毎朝ブロッキングの練習をして、練習試合で自分がマスクを被った試合は試合後に福永さんの部屋でビデオをみながら、リードの事や考え方を教えてもらいました。ピッチャーの事を理解すること、試合の準備をしたり、振り返ったりすることを学びました。後は練習で球を受けたり、私生活で話してその人の性格を知ったりするとも大事にしています。そこから相性を引き出したりすることに繋げています。

――昨年まではドラ1で指名された西武の武内 夏暉投手(八幡南)とバッテリーを組んでいたとおもいますが、当時から受けていて凄いと感じましたか?

 コントロールもそうですし、ピンチになったときにギアの上がり方が凄いなと思いました。球の強さが一番受けていて感じたところです。武内さんレベルだと普通に投げたら抑えられる。逆に調子の悪い時、どう抑えるかを大事にしていました。武内さんのプロでの活躍は、正直想像以上というか(笑)、受けていた身としてはプロでも絶対通用すると思っていました。

大学代表合宿で本塁打

――大学ジャパンに入った時の心境はいかがでしたか?

 自分でも驚きました。守備の面で頑張ろうと思いました。

――肩には自信を持っていますか?

 肩と体の動きの速さは自信があります。ショートをやっていたので、足を使うのはほかの選手よりもいいのかなと思っています。

――実際に選ばれてみてどうでしたか?

 打撃の面ではまだまだだと感じましたし、守備の面でも色々な投手がいる中で改善した方がいいと思うことがあったので、課題が多く見つかった時間でした。

――それでも松山で行われた23年12月の代表候補合宿では、本塁打も打ってアピールしていましたね。

 あのホームランは完璧でした。アピール出来たなと思いました。

もっと打撃を磨きたい

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