10月24日に迫ったドラフト会議。スラッガーとして1位指名が有力視されているのが青山学院大の西川 史礁外野手だ。

 大学日本代表の4番打者にもなった西川だが、龍谷大平安時代は意外にも“守備型のショート”だった。

 異例の大化けはどのようにして起こったのか?西川に成長の歩みを語ってもらった。

 <西川史礁インタビュー前編を読む>

 スラッガーになるのは想像していなかった


アップ中の西川 史礁

――大学3年時に大学代表の4番を経験していますが、入学した時この未来は想像していましたか?

西川 もちろん想像していません。高校時代は体も細身で打球は飛ばなかったですし、どちらかというと守備型のショート。そんな自分が大学ジャパンの4番を背負わせていただく未来は想像しなかったです。

――西川選手の高校時代の全国デビューは、2年のセンバツ。大会期間中、レギュラー選手の寝坊により西川選手が抜擢され、10打数3安打の活躍でした。

西川 レギュラーの寝坊で出番をもらったといわれるんですけど、自分としてはセンバツで出番があれば、結果を残せる自信はありました。平安は、センバツ前に沖縄遠征があるんですけど、ほぼすべての試合でショートでスタメンで出て、多くの試合でヒットを打つことができて、しっかりと結果を残していました。いきなりではなく、自分の中でレギュラーとして出る自信はありました。

――結果を出せた要因はどこにあったのでしょうか?

西川 秋にベンチを外れた悔しさがバネになったと思います。1年秋は府大会まで背番号5でベンチ入りしていたんですけど、結局、試合に出場できず、近畿大会ではベンチ入りメンバーが減るので、僕が外れる結果になりました。自分自身もすごく悔しい思いをしましたし、高校時代の中で印象に残っている出来事ですね。

――高校3年間で身体も大きくなりましたか?

西川 最終的には3番を打てるまでになりました。体も大きくなって、飛距離は出てきたと思います。学年が上がるにつれて、身長が自然に伸びて、176センチから182センチまで伸びました。トレーニングの中で筋肉がついてきたのも大きいですが、コロナで自粛期間があって、しっかりと休んだことで体が大きくなったのもあります。

平安時代の「2時間アップ」が飛躍につながる

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