皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!

 10月24日のドラフト会議まであと少しとなりました。毎年新しい選手が入るということは、球団を去る選手も現れます。今年の一次戦力外通告期間では92人が通告されました。中には高校時代に取材してきた選手たちもいます。彼らはみな、高校時代は光るパフォーマンスを見せていました。

 今回は今年戦力外となった育成選手2人のエピソード取り上げていきたいと思います。

投手王国・健大高崎の礎を作った下慎之介

高校時代の下慎之介

 一人目はヤクルト4年目の育成左腕・下慎之介投手(健大高崎)です。彼については高校入学当初の立ち位置を考えると、よくここまで頑張った、と感じています。

 下投手は高崎ボーイズ出身で、地元の強豪・(健大高崎)に入学しますが、当時は10人以上いた同級生投手の中では下から数えたほうが早いレベルでした。そこから2年生時にはベンチ入りする出世をはたします。なぜそれができたかといえば、ちょうど健大高崎の投手改革が始まった時期だったからです。今でこそ健大高崎は140キロ超えの投手が多く出るチームになっていますが、かつてはエースが連投・完投するようなチームでした。

 健大高崎投手陣の改革として、球数制限を設定しました。

・1週間の球数は100球以内
・土日の練習試合の登板日は事前に決定 
・連投は原則禁止

 このルールのもと、1週間、選手はそれぞれで投球練習の球数を決め、それ以外は初動負荷トトレーニング、ウエイトトレーニングなどを行い、登板日にベストの力を発揮できるように調整を行います。球数は生方啓介部長が管理。その結果、故障が減りました。練習でもあまり球数は投げられないので、限られた球数の中で工夫しないといけません。下投手は高校時代の取材でこう語っていました。

「中学の時は調子が良ければ、20球ぐらいで済ませていました。調子が悪いとしっくりいくまで100球以上投げていました。今振り返れば漠然とした投球練習だったと思います。今では3球1セット、5球1セット。そしてカウントを設定して投げます。このカウントから初球はカーブから入ろう、ストレートから入ろうとか、実戦で投げるイメージです」

 そうすると好不調に関わらず、いつでも自分の実力を発揮できるようになり、コントロールも安定しました。

 このメソッドのもと、下投手は2年秋には最速143キロの速球を武器に、秋季関東大会優勝、神宮大会準優勝に導き、3年ぶりのセンバツ出場に導きました。

 下投手は神宮大会の内容を評価されて、この世代でもイチオシの左腕へ成長しました。しかしコロナ禍もあり、それ以上の思うようなアピールができず、20年のドラフトではヤクルトから育成1位指名評価を受けました。しかしプロの壁は厚く、二軍でもなかなか結果を残せず、昨秋からサイドスローに転向。23試合に登板しましたが、防御率5.46に終わりました。

 戦力外が決まりましたが、健大高崎時代から1つ1つの練習を工夫して取り組む選手でしたので、ヤクルトでの4年間で得たものは大きいと思います。本人はSNSで球団、指導者、チームメイトに感謝を述べ、今後は未定と語っています。投手王国・健大高崎が始まったのは下投手の世代からですし、健大高崎の歴史を振り返る上で忘れがたい選手であることは間違いありません。

外部指導者の存在で規格外の大型捕手へ成長した村山亮介

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