<第151回中日旗争奪全三河大会:豊川4―3三好 (延長10回タイブレーク)>19日◇準決勝◇豊橋市民球場
愛知県では、春季大会と秋季大会の終了後に、全三河大会、全尾張大会という地域の大会が地元新聞社主催で開催される。戦後すぐに始まった大会で、70年以上の歴史を有する。
今大会は、先の県大会の東西三河地区ブロック予選で1位と2位になった学校がベスト4に残った。そして、各1位校と2位校が襷がけのような形で当たることとなった。
今春のセンバツに10年ぶりに出場した東三河1位の豊川。前チームはドラフト上位候補スラッガー・モイセエフ・ニキータ外野手(3年)が注目されていたが、メンバーの大半が残った。
本格派右腕の中西 浩平投手(2年)と速球派右腕の平野 将馬投手(2年)の2枚看板、5番打者・北田 真心内野手(2年)と俊足の林 優翔外野手(2年)が残り、秋季県大会でも優勝を争えるチームとして注目されていた。その県大会ではシード校として出場し、2回戦では西尾東に7対0。3回戦でも豊田大谷に10対0と強さを示してきた。しかし、準々決勝では、名古屋たちばなに0対3と敗れて、2年連続のセンバツ出場は絶望的となった。
それでも、選手層の厚い豊川は、この全三河大会では、長谷川 裕記監督は多くの選手を試しながらもしっかりと刈谷工科、時習館を下してきた。やはり、東三河の雄といっていい存在であろう。
西三河地区2位校の三好は県立校ながら、学校として寮も有しており、部員の6割ほどが入寮している。刈谷時代には夏の愛知大会準優勝にまで導いた実績のある岡田泰次監督が就任して5年目。今春は新入生が26人も入り、それぞれで競い合いながらチームも育ってきた。夏は2回戦で長久手に屈してしまったが、多くの1、2年生が残った新チームは西三河地区では危なげなく二次トーナメント決勝に進出して2位校として県大会出場。
県大会では今春のセンバツ出場校で夏は昨夏まで3年連続出場を果たしていた愛工大名電と競り合い、2対3で敗れたもののチームとしての力は十分のあるということは証明した。左腕・長屋 亮汰投手(2年)と渡邊 昂太投手(2年)の2枚看板は経験も豊富だ。
この日の豊川は背番号11の田原 波哉斗投手(2年)、三好は2本柱の一人渡邊投手が先発。初回にともに1点ずつを取り合う。三好は、4番小塚 朗葉選手(2年)のタイムリー、豊川は失策の走者を3番林の適時二塁打で同点に追いつく。
投手戦の様相で試合は前半を終える。
打線も3巡目となってきた6回、三好は5安打を集中して2点を奪う。豊川は田原投手を諦めて竹山來輝投手(1年)を投入したが止めきれなかった。
豊川の長谷川監督は、「この大会では平野を8回、中西を9回で使うことを決めていた。夏を見据えたときに、最後の抑えの重要性も感じているので、どちらに任せらればよいのか、そんなことも試していきたい」という思いでもあった。
その通りに8回は平野投手が3人で抑え、9回も中西投手がピシャリと抑えた。勝ち負けよりも、与えられた役割をどう果たしていくのか、そのことが大事だったという。
9回、豊川は一死から敵失、四球でチャンスを作り、二死一、二塁の場面で本来は正捕手の上江洲 由誠捕手(1年)を代打に起用。上江洲はその起用に応えて、思い切りよくスイングした打球は右翼手の頭上を破って2点二塁打となり同点。
タイブレークはともに9番からの打順でバントの巧拙が明暗を分けそうな試合展開だった。三好は初球バントが一塁への小フライとなり、さらに走者の飛び出しもあり、併殺に。ミスで無得点に終わった。その裏、豊川は中西投手がしっかりバントを決めて一死二、三塁として1番八木七遼選手(2年)だ。ここまで4打数無安打だった八木にたいして思い切ってエンドランを仕掛けて内野ゴロとなり野選を導いてサヨナラ打となった。
8回までは、豊川は2安打しか打ててなかったこともあり、長谷川監督は、「途中はストレスのたまるような展開の試合でしたが(苦笑)、こういう形で勝てたことは、チームとしてはよかった」と喜んだ。
三好の岡田監督は、「格上の私立校に対して、県大会もそうだったのだけれども、接戦にまではなっても、勝ちきれません。どうしてなのか、私もわかりません。こういう戦いを勝ち切らないと、もう一つ上には行けないということですね。失点には、エラーが絡んでいるというも、痛いですよね。 この冬は、その対策を模索しながらやっていくことになるでしょう」と、リードを守り切れず、1点差負けを悔いていた。