いよいよ明日に迫ったドラフト会議。昨年、NPBに入団したのは育成選手を合わせてわずか122人だ。

 そんなアマチュア選手たちの実力を見極めるのは12球団のスカウトである。12球団のスカウトは選手のどこを評価しているのだろうか。またどんな苦労があるのだろうか。

 スカウトとして大洋・横浜、巨人で数多くの選手獲得に携わり、巨人ではスカウト部長まで務め、現在は東海大の監督を務める長谷川国利氏が現在の巨人の主力選手たちの獲得秘話を語ってくれた。

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「こんな日本人いるんだ」佐々木の高校時代を見て唖然

――長年スカウトをする中で、この選手は凄いと感じた選手はいますか?

長谷川監督 長年スカウトをやっていて「こんな日本人いるんだ」と思ったのが佐々木朗希投手(大船渡=現・ロッテ)なんですよ。巨人はドラフト1位で奥川(恭伸投手・星稜=現・ヤクルト)くんを指名しましたけど、僕は真っ先に佐々木君が1番と思いました。ただ原(辰徳)監督がネックにしていたのが、強豪校で揉まれていないこと。また、登板の仕方も県大会の決勝戦で投げなかったなども気になった。それを考慮して奥川でいこうとシフトしたんです。

 翌年から投げられる投手を指名したいのであれば、森下 暢仁投手(大分商―明治大=現・広島)でした。ただ彼は大分商の頃から見ていましたし、失礼かもしれませんが森下君が10点満点で5点であれば、奥川君が8点か9点、佐々木君は15点あげてもいいという話をしたのを覚えています。大谷 (翔平選手・花巻東=現・ドジャース)君が高校時代に最後の夏の予選で160キロ投げたと聞いて少し疑っていましたが、佐々木君が仮に170キロを投げたとしても驚かないと思います。それくらいのボールを投げていました。

――当時のスポーツ紙で長谷川スカウトが絶賛という記事も多く拝見した記憶もありますが、やはり評価はずば抜けていたんですね。

長谷川監督 高校日本代表の合宿で山瀬 慎之助捕手(星稜=現・巨人)と、藤田 健斗捕手(中京大中京=現・阪神)がブルペンで受けていましたが、最初はスライダーが取れなかったんです。藤田君に関しては佐々木の真っすぐを自分の感覚で取ったら指を痛めていました。

――本当にモノが違うと感じたんですね

長谷川監督 3月の寒い時期に栃木に遠征をしてきて、作新学院との練習試合を見た時が初めてでした。試合中に降板したけど、僕はすぐ ネットから降りて行ってベンチの裏で着替えているところを見に行きました。体型はすごく細かったけど、 骨格はそこまで細くない。久保 裕也投手(沖学園―東海大)とか、前田 幸長投手(福岡第一)のようでした。

――結果として奥川投手を外して、外れ1位で宮川 哲投手(東海大山形―上武大―東芝―西武―現・ヤクルト)の指名に行きました。そこは即戦力が欲しかったということですか?

長谷川監督 頭数の部分もありましたし、変化球のキレも鋭く投げっぷりが良かったですね。マウンドで相手にどんどん向かっていくタイプでしたしね。

――再びクジを外してしまって、次に堀田 賢慎投手(青森山田)を指名しました。当時はどこを評価していましたか?

長谷川監督 実は今年ジャイアンツにドラフト1位指名を受けた西舘 勇陽投手(花巻東―中央大)を見に行ったら、その後に青森山田が試合をしていて、当時の担当のスカウトから「もう1人気になる選手がいる」と言われてみたのが堀田でした。当時は西舘君よりはるかに上だろうという見立てをしました。そして最後、ドラフトの会場で宮城 大弥投手(興南)に行くか堀田君で迷ったんですよ。そこで体も大きいし堀田くんで行こうとなったんです。

――宮城投手も選択肢にあったんですね。

長谷川監督 背格好は立派ではなかったですが、スライダーの切れがすごく良かったですね。彼とは個人面談も行きましたが、ハングリー精神が好きでした。我喜屋 優監督と話しをしましたけど、順位や球団は関係無く「僕は今すぐプロに行って頑張りたい」という話をしていました。

佐々木朗の決勝登板回避に持論「同じチームメイトだったらどうかなと思う」

――高校生のレベルは上がってきていると感じますか?

長谷川監督 それはもちろん感じます。球種自体も昔と違ってすごく増えてきました。今は中学から軟式ではなく硬式をやる子も増えたので、昔はストレートの次にカーブから入ったものですけど、今はストレートの次に投げるのが8割以上スライダーですね。だからヒジにも負担が行くのかなと思います。

――スカウト目線からして、高校生の球数問題はどう感じていましたか?

長谷川監督 登板過多、投球過多は決して良くはないでしょうけれども、ある程度の投げ込みというのはしないといけないと思います。多く投げることによって、最後のリリースポイントで力を集約することを覚える。 それが普段から20球、30球しか投げてないと、もう体全部使って投げ込むので、何かの拍子に起きてしまうケガの度合いが大きいんです。これが80球、150球となって昔のように200球を投げていた時代は、全部を全力で投げていたわけではないんです。最初力を抜いて、最後リリースポイントに集約する。そこでピッチングのコツを覚えていくということが必要だと思います。

――その意味では佐々木投手が県大会の決勝戦で登板しなかったことは当時議論を呼びましたね。色々な兼ね合いもあると思いますが、そういった面も含めて1位を奥川投手に決めた事にも繋がっていたりしますか?

長谷川監督 僕はその不安要素を踏まえても、彼の1位は揺るがないぐらいの評価はしていました。けれども奥川投手も当然素晴らしいピッチャーですし、仕方ない部分もありました。ただ、僕が大船渡の佐々木のチームメイトだったら納得せんでしょうね。一緒に3年間やってきて、最後ここで勝てば甲子園っていうその大舞台をかけた試合を、1人の将来を考えたという名目のもとに投げさせなかった。僕が同じチームメイトだったらどうかなと思いますね。

――プロに入ってからケガもありましたが、佐々木投手の体が追いつかないといったこともあるのでしょうか?

長谷川監督 やっぱりそれもあると思いますし、もし巨人に入っていたら、今みたいなスパンでは投げられなかったと思います。ロッテさんがやっていたような間隔での登板は無理でしょう。1回投げたら登録抹消して2週間空けることはできません。

――もし巨人に来ていたらローテーションの一角として投げてもらうつもりでしたか?

長谷川監督 巨人であればローテーションに入ったら、もう中6日、中5日で回ってもらう。1週間にいっぺんは登板しないのであれば、巨人のローテーションピッチャーではないと思います。巨人は常勝球団ですから、勝つための戦力として「ローテーションを担う」ことを教育すると思います。

――時代が変化している中でも、根幹の部分は変わらないということですね。

長谷川監督 やはり勝負事ですから。相手と試合をして勝たなきゃいけない。大学では自分が50球投げたから1週間休んで次は30球で投げるというのは、自分の自主トレーニング。統率力を高め、深めた上で、野球というスポーツをしながら教育していくっていうのは、自分のエゴを通すよりは我慢する部分の方が圧倒的に多いわけです。社会に出た時もその経験があると頑張れるんじゃないでしょうか。