音楽プロデューサーとしてCHEMISTRYやいきものがかりの結成、デビューなどで手腕を発揮する一方で、半世紀を超えるアマチュア野球観戦により野球の目利きでもある一志順夫。連載コラム「白球交差点」は、彼独自のエンタメ視点で過去と現在の野球シーンとその時代を縦横無尽に活写していきます。

日本シリーズで改めて痛感した監督業という因果な商売

 日本シリーズは大方の予想を覆し、我がDeNAベイスターズが史上最大の下剋上でソフトバンクホークスを下した。

 三浦 大輔監督の采配は冴え渡り、シーズン中とは別のチームかと思えるほどの見違える戦いぶりだった。この球史に残る日本シリーズを通して感じたのは、監督業というのはつくづく因果な商売だなあ、という思いである。

 レギュラーシーズン中は、三浦監督の采配批判がファンの中でも渦巻き、来シーズンは交代必至の論調が支配的だった。ところが、CS以降のポストシーズンでの的確な選手起用や戦術をみて、まさに忍法掌返し、「三浦 大輔名将説」がメディア、SNS上で喧伝されるようになる。一方、シーズン91勝の小久保 裕紀監督に対しては、プレミア12代表監督時代の失敗を蒸し返され、「短期決戦には通用しない監督」との烙印を押される始末。小久保監督の言葉通り、「結果が全て」の厳しい世界であるのは間違いないが、余りにもバランスを欠いた極論のような気がするのは筆者だけであろうか?

 監督の采配だけで勝てるゲームは年間数試合といわれている。常に優勝争いをするような強靭な戦力基盤を完成させるには、親会社、フロント、現場のベクトルを一致させ、中長期的視野でチーム作りをしていくことが肝要であり、監督の首をすげ替えれば済むような単純な話ではない。ベイスターズも中畑 清が種をまき、ラミレスがその苗を育て、三浦 大輔が今まさに刈り取りにかかって12年。干支が一回りだ。一朝一夕で常勝軍団化することがいかに難事業であるかは明白だ。

 今オフは、藤川 球児(阪神)、三木 肇(楽天)、井上 一樹(中日)、西口 文也(西武)、岸田 護(オリックス)と、5人の新監督が誕生した。しかし、どの人事も本格政権を目指した盤石な体制での船出というよりも、親会社とチーム事情優先の急造措置で、弥縫策という誹りを受けても仕方ない人選に思えてしまう。藤川の場合は、岡田退任の流れから阪神電鉄本社の伝統芸でもある「お家騒動」の産物という見方もできる。コーチ経験もなく球界人脈に乏しい藤川にとって来シーズンは、脆弱なチーム内基盤の中、いきなり石破政権同様の難しい舵取りを余儀なくされそうな予感がする。

阪神の「お家騒動」は約70年前の1955年にさかのぼる

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