「25歳で野球を辞めると決めていた」独立リーグ挑戦にあった覚悟

△徳島時代の谷田氏

 清原が野球を継続する場合、大方の予想では獲得オファーが続く独立リーグへ進むとされている。社会人野球ではドラフトまで最低2年間かかるが、独立リーグでは一年でNPBへの挑戦も可能である。一年でも早くNPBでプレーしたいと考えるのであれば最良の選択だろう。

 大学・社会人と実績を積み上げながら指名漏れを経験した谷田氏も、最後は四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスに入団。一年間NPB入りの夢を追いかけたが敵わず、野球人生に区切りをつけている。

「独立では『NPBに行かせたい』と球団側も動いてくれるので、自分の目標とマッチしていました。社会人野球ではお金をもらって会社のために野球をやっているので、チームの勝利が第一優先になるのは当たり前です。独立の場合、勝利はもちろんNPB輩出が頭にあるので、自分のやりたい方向と周囲とのギャップが生まれず、やりやすかったです」

 同時に、環境の厳しさや意欲の重要性についても指摘する。

「雨で試合が流れて5連戦になった時は大変でした。遠征では宿泊もしないので、高知での試合でナイターが終わってから徳島に深夜の1時頃帰宅して、次の日に高知でデーゲームだったので朝6時に家を出ていくようなこともありました。はたから見て『辛そうだね』と言われることもありますけど、環境が悪いとかは思わなかったです。逆にそういった気持ちがなければ続かないです」

 独立リーグでの1年を経て、「野球をやり切ることができた」と口にした谷田氏の言葉は重い。仮に独立リーグへと進むのであれば、確固たる意志を持って臨むことが必要になる。

野球を続けるのが全てではない

 改めて清原の今後の進路について見解を聞いた。

「結局は本人の判断次第かな。やるやらないに正解はない。続けるのが美談に描かれがちだけど、そこは本人の意思を尊重するべきだと思う。

外野の人間が言いたくなる気持ちもわかる。あれだけ才能もあって、生まれ持った血筋やストーリーがあるからこの先を見てみたい思いは共感します。けど、やっぱ本人が決める道だから……」

 谷田氏は野球から離れてから6年がたった今夏、全川崎クラブで復帰した。清原が野球を辞める決断を下した場合でも、数年後の復帰にわずかな希望を残している。

「自分は仕事をしながら週1回、趣味程度でやっています。社会人や独立リーグのようにトップを目指すわけではないけど、もう一度硬式で野球がやりたいと思ってくれる人が増えたらいいなと思っています」

 今でも公式戦で本塁打を記録するなど、現役さながらの打球を飛ばし、野球の楽しさを感じているという。清原がどんな決断を下そうと、本人にとって納得のいく形であることが一番ということを忘れてはならない。そう強く感じさせる時間だった。