神奈川県で、11月16日、17日の2日間にかけて開催された全国大会、第42回全日本大学9ブロック対抗準硬式野球大会。大会4連覇だった全関東選抜相手に、全東海選抜の先発・柳下 祐希投手(新潟明訓出身)が躍動した。

「継投で行くことは決まっていたので、80球が目安だった」ということで、6回1失点。三振こそ4つだけだったが、生命線である低めを丁寧に突く投球でアウトの山を築いた。加えて「打者の反応を見て増やした」というカットボールやツーシームも駆使して、テンポよく抑えて、2対2の引き分けに貢献した。

新潟明訓時代は、最速140キロ程度の速球を武器に、主戦投手を任された。最後の夏も登板して、チームのベスト4進出に貢献している。甲子園には届かなかったものの、柳下の中では「野球やり切った」と、どこか達成感があった。

だから「教師になりたい」と思って中京大へ進学。将来の夢に向かって突き進んでいくはずだったが、一緒に中京大に進学した地元の友人から「もう1回、やってみない」と声をかけられて、柳下は準硬式の道へ歩み出すことになる。

「4年間、朝練があることは正直知らなかったんですけど、授業終わりに練習がなくて、時間が取れるところが良いと思ったんです。
指導者は少なくても活気もありましたし、自分たちで考えて練習する機会も多い。なので、考えて野球をやっている選手も多くて楽しいんですよね」

幸いにも、中京大には柳下のように高校時代、名門校で腕を鳴らした実力者が多く在籍していた。だから選手主体の環境を生かして、自信の成長に繋げた。その象徴がカットボール。元々、得意球だったツーシームの対となる球種が習得したいと思い、この夏にマスターしたという。

いまもなお成長し続ける柳下。そこには、高校時代には手が届かなかった夢舞台があるから。
「正直、まさか目指せるとは思っていませんでした。高校時代は2年生の秋に北信越大会で敦賀気比に負けてセンバツを逃して。春も敦賀気比に勝てず、最後の夏は日本文理に負けた。あと一歩届かない時があったんです。
だからこそ、高校野球みたいに楽しみながら熱い思いで戦えています。チームも今大会は『(甲子園)行くぞ』って毎回声かけながら、高いモチベーションで練習をすることができています。それくらい自分を含めた周りの熱量は高いです」

準硬式にとって甲子園を使って全国大会を開くのは3回目。少しずつ準硬式でも甲子園を目指せる環境が根付きつつある。柳下の話を聞いていると、そう確信せざるを得なかった。甲子園に立てるチャンス、それが柳下の力を与え、さらなる成長を促しているのだから。

チームは準決勝で敗れてしまい、今回出場できなかったが、柳下のように、今後甲子園を目指して準硬式に進み、成長してくる選手が現れることを楽しみにしたい。