ダイバーシティ(=多様性)を大事にしている準硬式。だから高校時代、各地方大会で早々に敗退してしまうような学校でプレーしていた選手もいれば、強豪として注目されるチーム出身者。もっといえば高校時代は軟式出身者と様々だ。
21日に甲子園で大会を開く、三機サービス杯 第3回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦 甲子園大会(以下、甲子園大会)に参加選手たちも当然、あらゆるキャリアの持ち主が集まっている。そんななかだからこそ、西日本選抜の篠原一球内野手(高松商出身)は輝かしい道のりだ。
香川の名門であり、春夏合わせて50回の甲子園出場実績を誇る高松商でプレー。1年生の秋には神宮大会出場、2年生のときには春夏連続甲子園出場。計3回の全国大会に出場した球歴である。
強豪で主力プレーヤーだった篠原。しかし大学では、「プロを目指していましたけど、高校野球3年間で絶対に無理だ」と思った篠原は、「色んなことが経験出来る準硬式にしよう」と決心して、先輩たちもプレーしていた同志社大の準硬式に進んだという。
「神宮大会で星稜の奥川恭伸投手(現ヤクルト)と対戦したんですけど、自信を持った中で見逃し三振に抑えられたり。その後のセンバツの開会式で履正社・井上広大外野手(現阪神)に出会って体の大きさに圧倒されたり。あとは2つ下に浅野翔吾外野手(現巨人)が来たのは衝撃でした。
自分が当時3年間かけても越えられなかった学校の防球ネットを1年生から越えていった。それで1年生なのに木製バットを監督が持たせたりしたとき、『プロはこれよりもっとすごい選手がいる世界だから、自分はかなり厳しい』って現実的に思ったんですよね」
また甲子園に出場できたことで、「家族の夢も果たすことが出来た」ということで、どこか達成感も篠原の中にあった。そうしたいくつかの要素もあって、準硬式に歩んだが、2年生のときに甲子園大会が始まった。
「個人的にも、もう一度目指せるチャンスができたのは驚きましたが、実はもう一度甲子園に行きたかったんです」と胸の内を明かす。
「最後の1年は新型コロナウイルスの影響で甲子園を目指すことが出来ずに、終わってしまった。だからもう一度行きたいと思ったところがありますし、2年生の時は2度出場しましたけど、一瞬で終わったので何も覚えていないんです。10泊11日いたんですけど、すぐに終わってしまったくらい、夢のような時間だったんです。
だから選ばれたときは嬉しかったですし、甲子園の舞台を今度こそ楽しみたいですね」
そんな篠原だが、実は既に起業家として社会人生活を始めているという。主にSNSのコンサルなど、多岐にわたって活動しているそうだが、そこには野球に真剣に向き合うからだった。
「夏の全国大会で負けて引退したとき、野球をできないことがもどかしくて、『野球に携わりたい』と思ったんです。そのとき企業だと限られた形でしか野球に携わることが出来ないので、自分で出来ないかと思ったのがきっかけです。
ハイリスク、ハイリターンですけど、お金をかけてでも追いかけるのが夢だと思いますし、それを叶えるには個人で起業をするのが良いかと思ったんです」
このことは既に恩師・長尾健司監督には報告しており、「講演会やってくれ」とむしろ応援してくれたという。そんな長尾監督には「硬式にいたら時間の制限があったと思うので、準硬式を薦めてくれてありがとうございました」と感謝の言葉を伝えるとともに、当時の教えを語ってくれた。
「根を張りなさない。花を咲かせるために土台、根を下に伸ばしなさい、という教えがありましたね。なので、自分はごみを拾ったり、授業を聞いたり。地道に気を張って、根を張りました。だから明日は野球人生の花をしっかり咲かせたいと思います」
年明けからは少年野球向けの野球塾も本格的にスタートするという。そこに向けても、甲子園大会での経験をしっかりと持ち帰り、子どもたちにも伝えるつもりだという。これからの野球界へ種をまくため、そして自身の野球人生のため、久々の甲子園で篠原は全力プレーを見せてくれるだろう。