準硬式野球が21日、甲子園を使って開催する全国大会、三機サービス杯 第3回全日本大学準硬式野球東西対抗日本一決定戦 甲子園大会(以下、甲子園大会)。選考基準をクリアして、選ばれたメンバーが今大会もプレーする。それぞれが特別な思いをもって聖地に足を踏み入れるわけだが、東日本選抜・間亮太外野手(日大三出身)は、特別な思いをもって甲子園に行く。
父が兵庫県出身、祖父も甲子園の近くに住んでいることもあり、「高校野球を見に、春夏ひたすらは球場に連れていってもらった」と満面の笑みで話す。
最初に球場へ行ったのが2006年、「まだ3歳でベビーカーに乗っていた写真があるんです」と物心がつく前から、甲子園の舞台をスタンドから見てきた。そこで見た日大三の優勝を見たことが、間の野球人生に大きく関わったという。
「それまでは、甲子園って他の球場にはない景色。高校野球だけで満員になって応援する雰囲気。アルプスの応援、そして選手たちの必死でカッコいいプレー姿を見て、とにかく憧れがありました。そんな甲子園で2011年の夏に日大三が優勝したんです。当時、日大三が見せた打ち勝つ野球に凄く心惹かれたんです。それで野球を始めました」
その後、中学では都筑中央ボーイズで腕を磨き、念願だった憧れの日大三へ進学。憧れの甲子園の舞台を目指したが、3年間通じて甲子園に出場することは叶わなかった。
「近いようで遠い。こんなにも甲子園に行けないものなのか」と、間は激戦区・西東京の厳しさを改めて痛感。とともに、幼いころからの夢を叶えられなかった当時の悔しさをかみしめながら、大学では東京農業大へ進学。硬式野球に進み、学生野球最後の4年間を戦うつもりだった。
だが、日大三時代、甲子園のために無理した影響が、ここで間を襲った。
「日大三には覚悟を決めて入学して、寮生活を送っていました。両親も期待していたので、ベンチに入る、スタメンを勝ち取るために、多少の痛みは我慢したり、セルフケアしたりしてやりきました。ですが、大学では痛みが残っていたので練習についていけず。
周りもプロ目指すような方ばかりでモチベーションが高く、本当に野球に打ち込む世界だったんです。そんななか、自分はケガで苦しんで思うようにプレーが出来なかった。そんな状況が卒業まで続くなら、早い段階で引きずらずにきっぱりやめることを決めました」
間は硬式野球をやめて、普通の大学生としてキャンパスライフを送り始めた。日大三の関係者、両親に迷惑をかけた申し訳なさはもちろんありながらも、「大学4年間を通じて何かに得られるものが欲しい」という思いで再出発をした。
が、準硬式に出会って、再び野球人生が始まった。
「親にもやめることを伝えたんですが、同じ学科の友人から『来て欲しい』ってお願いされたんですよ。正直、木製から金属に戻りますし、プロへ進んでいく先輩たちを間近で見ていましたから、『レベルは落ちるかな』って思うところはあったんですよ。
でも行ってみたら、準硬式の熱にハマってしまって。とにかく全部にハマったんです。それまでやらされる、人についていく野球だったけど、準硬式は自分から、学生主体で動くことに楽しい。『これまでで一番楽しい!』って感じたんです。主将を任せてもらったので、考え方も変わって、得られるものが大きかった。だからもう一度、野球をすることにしました」
すると、2023年に甲子園で準硬式の全国大会が開かれていることを知った間。日大三の時に叶えられなかった夢舞台へ挑めることに驚くとともに、「絶対に出場したい」と決意を固めた。
必死にアピールした末に、今回の参加が認められた。「親戚含めて、家族みんなが喜んでくれた」という間の表情は、どこか嬉しそうだった。と同時に、当日は応援に駆けつけてくれることもあり、「楽しみですし、やりきりたいです」と興奮しているようだった。
3歳から見続けてきた憧れの舞台。間はついに足を踏み入れることになるが、最後にこんなことを語り出した。
「小倉監督もよく『本当に甲子園めちゃめちゃいいところだぞ』って言っていたんですよね。『球場入った時に観客席と同じ目線で見える空間がなかなかない。甲子園が一番良い場所なんだ』って話されていていたので、それを思い出しながら、明日は楽しみたいです」
甲子園を愛し、憧れ続けた間。21日は人生にとっても特別な1日になるに違いない。ベストパフォーマンスで夢の時間を存分に楽しんでほしい。