各地区で選抜チームを編成して、地域No.1を決める第42回全日本大学9ブロック対抗準硬式野球大会(以下、9ブロック大会)。甲子園を使った決勝戦は、全九州選抜が、5対3で全関西選抜を下して歓喜の輪を作った。
「もう正直、一生味わうことが出来ないと思います」
ライトから全速力で歓喜の輪ができていたマウンドへ向かった山口 絋輝外野手(西日本短大付出身)。今回の全九州選抜は1、2年生たち下級生が中心のメンバー構成。「決めたこと、出来ることを当たり前にやろう」と話し、主将として率先して挨拶するなど行動で即席チームをまとめ上げた。下級生たちのため、チームのために動く。その先にあった甲子園での決勝戦、そして優勝だったわけだが、それができたのは西日本短大付での指導があったからだ。
最後の夏、山口が所属した西日本短大付は甲子園にたどり着いた。残念ながら初戦で二松学舎大付の前に敗れた。その瞬間、山口はベンチにおり、グラウンドに立つことが出来なかった。夏の大会前にヘッドスライディングで帰塁したことで肩を脱臼。痛み止めなど、出来ることをやって、何とかベンチに入ったが、出場は叶わなかった。
「本当に悔しかったし、ケガは恨みましたね」と当時を振り返った山口だが、このときにある言葉に出会った。これが、いまの山口を支えることになった。
「当時の学校の担任の先生が、『誰かのために生きることに、生きる価値がある』という一言をもらったんです。この言葉自体はアインシュタインの言葉なんですが、その教えを聞いたときに『そういう生き方もあるんだ』って気づかせてもらった大事な一言です」
ケガを理由に準硬式に来たが、当時教わった一言を胸に成長し続けた山口。そして今大会、大会5連覇を目指した強敵・全関東選抜に勝利して再び甲子園にたどり着いた。ただ今度はグラウンドに立てた。しかも優勝を飾り、歓喜の輪を作ることもできた。「準硬式を続けてきて本当に良かった」と喜びを爆発させた。
ただ山口にはあと1年ある。今大会を通じて、「人間性が高い人だからこそ、成長できることを、自チームに戻って伝えたい」と福岡大の主将としてチームメイトのために学んだことを話す。
今回は甲子園で初めて9ブロック大会が開かれたおかげで、山口は高校時代の悔しさを晴らし、喜びを味わうことが出来た。この経験がさらなる成長に繋がっていくだろう。それだけでも甲子園で大会を開くことに大きな意義があると、確信せざるを得なかった。