激戦区・神奈川県を勝ち抜き、関東大会、そして神宮大会と快進撃が止まらない横浜。そのライバルである東海大相模と、力のあるチームは相当いる。この秋、ベスト16まで勝ち上がった立花学園も、その中の1つだ。
東海大相模の前に2対7で敗れたことで8強入りを逃したが、春の大会も同等、それ以上の成績を残すことが期待できる。そのカギを握っているといっていいのは、エース・芦川颯一投手だろう。
わずか1年で10キロアップの急成長ぶり
最速136キロ、さらにスライダー、カーブといったキレのある変化球を武器とする芦川。1年生の夏から公式戦の登板機会を勝ち取り、下級生の時からエースナンバーを背負ってきた。その実績があれば当然、この秋も背番号1をつけた。甲子園に向けて左腕を振り抜いたが、東海大相模の前には課題を多く残した。
「あの試合は5回まで良かったんですけど、1本の長打を許したところから、一気に大量失点してしまった。完全な失投だったんですけど、やっぱりどれだけ球速を伸ばしても、勝負所で決めきれない。これは大きな課題だと思っています」
立花学園のエースとして、「自分が投げたら絶対に抑えて勝ってくれると思われる」投手を目指しているからこそ、現状に対して微塵も満足していないのだ。
とはいえ、芦川の成長は目を見張るものだ。
伊勢原シニアで中学時代の3年間を過ごした芦川。「当時、夏の大会でベスト4に進出したし、練習環境を見て決めた」ということを理由に、立花学園の門を叩く。当時は最速120キロ程度で、精密機器・ラプソードによる回転数も1900~2000回転程度。芦川自身も「ストレートには自信がなかった」と力押しの投球はできなかった。
代わりに「変化球を極めてみよう」と伊勢原シニアの指導者の一言で、得意な変化球・スライダーを極めた。そして何よりも「他の投手よりも良かった」と自負する制球力を生命線として、自身の理想でもあった打たせて取る投球でアピールした。
すると5月の大型連休からBチームで登板機会を獲得。そこで結果を残し、指導者からの評価を高めていくと、3年生たちのいるAチームに帯同することになった。
「入学前から、親には『1年生の夏からベンチ入りして登板する』ことを言っていたので、そこまでの成長は嬉しかったですけど、いざ合流すると死に物狂いで勝ちに行く先輩たちの姿勢が凄くて、『全然違うな』と感じました」
そのなかで芦川は戦力になるべく、必死に左腕を振り抜いた。が、まだ1年生。下半身を使えないフォームだった分、球威が物足りない。加えて武器だった変化球も、3年生の打者には、まだ通じない部分が多かった。
「力がなかった分、スライダーは手先だけで無理やり曲げようとしていたんです。その結果、早い段階で曲がり始めてしまったので、中学レベルは空振りが取れても、高校生には見極められる。苦しんだというのがありました」