甲子園よりもスカウトの目に留まるほうが大事だった

 とにかく練習はきつかったですが、そのおかげで自分はパワーアップができました。高校1年の冬までの本塁打は1本。でも、冬が明けてから、簡単に本塁打が出るようになりました。監督の言う通りに、猛練習をやってきた成果が出ました。

 高校通算本塁打は30本ということにしていますが、実際はもっと打っていると思います。日南学園のグラウンドは狭くて、監督も本塁打としてカウントしない当たりも多かったんです。また、当時は巨人のキャンプ地である宮崎サンマリンスタジアムは開場しておらず、バックスクリーンが110メートルほどの宮崎県営がメインで、とにかく狭くて簡単に本塁打が出ました。

 僕は勉強があまりできなくて、また家庭にも僕を大学に行かせられるお金がなかったので、もともと高校を卒業したあとは就職を希望していました。

 僕は調理科に入ったのですが、理由は就職率100%だったから(笑)。調理師の資格をとるためにはいろいろ覚えることが多くて大変でした。監督からは「野球のサインだと思って必死に覚えろ!」と言われていました。

調理実習もあります。1年生の時は週1回、2年生は2回、3年生では3回。だけれど監督から「包丁を握るのは禁止」といわれていたので、僕は実習生が作ったご飯を食べるだけでした(笑)。その代わり洗い物は僕が担当して、ノートに料理の感想を書いていました。

 僕がいたクラスには料理の上手い生徒がいたので、普段からおいしいご飯を食べることができました。当時、寮の飯がまずかったので(笑)、これは本当に大きかった。そのおかげか身体も大きくなったのではないでしょうか。

 監督と出会って目標は高卒プロ入りに変わりました。

公式戦で活躍してスカウトの目に留まることしか考えていませんでした。3年のセンバツで、日南学園初の甲子園出場が決まった時も「よっしゃー、甲子園に行ける!」という気持ちより、「プロにいくためにレベルの高い人間と対戦できる、スカウトにアピールできる!」という気持ちが強かったですね。

甲子園は人生を変える場所、だから目指せ

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