15日、近江(滋賀)の名将・多賀章仁監督の講演会が都内で開催された。都立の野球部の教諭を中心とした「高校野球研究会」は毎年12月に講師を招いて講演会を開催しており、今年が第40回となった。
多賀監督は平安出身で龍谷大を経て、89年に近江の監督に就任。01年の夏の甲子園で準優勝を果たし、通算22回(春7回、夏16回)の甲子園出場に導いた。近年では2021年夏から2022年夏まで3季連続甲子園ベスト4入りを果たした。18年から5年間で、山田 陽翔投手(西武)をはじめ4人のプロ野球選手を送り込んでいる。
89年、近江の監督に就任した多賀監督だったが、最初はなかなか選手との距離感が縮められず、指導に苦労した。龍谷大の監督などを務め、師と仰ぐ椹木寛氏から叱咤激励を受けながら、指導のイロハを学び、就任4年目の92年に当時4連覇中だった八幡商を準決勝で破り、決勝戦でも比叡山を破り、自身初の甲子園に出場を決めた。
原動力となった長谷川智一投手、宝藤隼人捕手のバッテリーは「今でも忘れられない選手です。私が講演するときは必ず触れる選手です」と振り返る。その後、01年夏に甲子園準優勝するなど、定期的に甲子園に出場するようになったが、なかなか上位進出ができなかった。
転機となったのは2018年夏。交流があった智弁和歌山と対戦した。7対3で勝利し、その勢いでベスト8進出を決めた。当時のチームについて多賀監督は
「投手も揃い、打線も力がありました。抽選会前から当時監督だった高嶋先生から投打の実力を褒められていまして、初戦で当たらなければいいな…とどちらも思っていたのですが、いきなり当たることになって(苦笑) トーナメントは初戦でどういうチームに勝てるかが大きい。智弁さんに勝てたことは本当に大きかったです」
21年夏には山田を擁してベスト4入り。2回戦で大阪桐蔭に競り勝ち、勢いに乗った。山田がいる期間は3季連続甲子園ベスト4以上だった。この期間について「夢のような時期でした」と振り返る。
甲子園で勝ち進む秘訣については、選手に任せることだという。
「まだ若い時の私は選手に圧をかけすぎていたところがありました。甲子園に出場してもなかなか勝てていなかったのはそういうところがあったからだと思います。今の選手達はしっかりしている選手も多い。知り合いの監督さんからも『お前は前に出すぎるな』といわれていました。一歩引いて見ることが多くなりましたね。
特に山田についてはかなりしっかりしていたので、彼に任せて、ベンチでは山田のファンとして見ていました」
今では選手の主体性が大事にされる高校野球となっているが、多賀監督も同調する。
「今、振り返ると甲子園に勝ち進めた時は実力以上のパフォーマンスが出ていたと思います。それはどういうことなのかというと、選手の主体性を重視して取り組んできた積み重ねが出たと思います」
講演の結びとして、「甲子園で対戦したいと思われるようなチーム作り、皆様から愛されるチーム作りをしていきたいと思っています」と締めた多賀監督。講演会後の懇親会では若手指導者の技術的な質問にも身振りを交えながら、真摯に答えていた。