“過去を消す”男

倉野光生監督

 イチローが愛工大名電の門をたたいたのは、1989年になる。その年同校は合宿所を一新した。合宿所は中日ドラゴンズと同じトレーニング施設を揃え、まさに当時の最先端の環境が整えられていた。ハード面を野球の環境とするならばソフト面は運用となる。

「彼が本当に自分の力が発揮できるような環境作りをしてやらなきゃいけないと考えました」(倉野監督)

 技術というよりは、イチローが思う練習ができる状況を作ることを最優先とした。その理由として、イチローが、何が今必要なのかを考える、実行する力があるからだ。常に明確な目的と理由のもとに動ける選手だからこそ、イチローが取り組む練習が、消化不良にならない環境を整えることを考えたのである。

「例えば イチローのお父さんは、『彼は毎日300球打ち込んでますから、高校に入っても毎日300球は必ず打ち込みさせてくださいよ』と言っていました、 当時は上級生が練習するのが中心で、下級生はほとんど練習ができないような環境だったから、1年生から自分の練習ができる環境作りをしたり、 それからウエイトトレーニングは全くやったことがないということだったので、ウエイトトレーニングを本格的にやれるように設備を導入しようとかね。そういうことはかなりやってましたよ」

 そんな中イチローは、高校では着実に結果を残しプロの門を叩くことになる。

 その後、イチローは1991年にオリックス・ブルーウェーブにドラフト4位で入団。ここからはだれもが知っている活躍が続く。

 1994年にNPB初のシーズン200安打を達成(最終的にはシーズン210安打を記録)。その年から7年連続首位打者。そして、2001年のMLB挑戦と続いていく。

 倉野監督は、イチローの線が細い体を心配していた。あの体で成功できるのかとメジャー行きを反対したという。しかしイチローはMLB挑戦の前から準備をしていた。1999年には、オリックスが業務提携しているシアトル・マリナーズのスプリングトレーニングに参加した。倉野監督は、その時からイチローにはMLBでの成功の道筋が見えていたのではないかと考えている。

「メジャーのキャンプに参加をしとんだよな。それでもう自分で目処つけて、 やれるって確信を持ってMLBに行っているね。そこはちゃんと準備して、行き当たりばったりじゃない。あらゆることをちゃんと準備した上で、確信を持っている。でもそれを周りの人には感じさせない。天才だねという言い方をさせてしまう。彼は、それが努力だねっていう風には人には言わせないんですよ。ちょっと次元が違うよね」

 華々しい活躍の裏にある泥臭い努力をいっさい感じさせず、“天才”とみられてしまう。壮大なイチロー劇場と言えるだろう。

「(現役)選手たちと話すときも、努力などの話はさらっと流しちゃう。『俺はこうしたんだよ』なんて話、絶対しないからね。『先輩の関係どう?寮のご飯どうなんだ?』という野球の話じゃなくて寮生活の話ばかり。『野球の技術に関しては俺はこうだった。高校の時はこうだった』という話は一言もせんかったね」

 最後に改めて倉野監督に聞いた。イチローとは何者か?

「天才って呼ばれる人は過去を消すね。大体何かをなした人というのは、過去の実績などを語る。あいつ(イチロー)の場合だと『俺はメジャーで何年やって、こんだけの賞を取ったんだよ』って話なんだけど、そういうことは一切言わない。なぜなら現在とまだ先があるから、普通の人とは違う。現在進行形で未来がまだどんどんある。これから何をするんかなっていうね。何見せくれるんだろと感じさせる」

 イチローを形容する言葉は『イチロー』しかないなのだと感じさせられた。