「阪神は、夢を叶えさせてくれるチームでした。子供の頃に描いていた“ファンから大声援を受けるプロ野球選手”って夢を実現できている感覚を持てたんです。勝てばVIPのような扱いを受けられる。大勢のファンが自分に向かって手を振ってくれるんです。ただ注目度が高い分、ハートが弱いとやっていけませんけどね」

 そう語るのは平下晃司氏(46)。2001年から2004年途中まで阪神でプレーをした外野手だ。今も語り継がれる「F1セブン」の5号車としてもおなじみである。

 この時期の阪神は、野村克也監督と星野仙一監督のもと、90年代から続いていた“暗黒時代”でもがき苦しみながら、03年のリーグ優勝に至る“大改革期”だった。

 現在、大阪で子供たちに野球指導を行っている平下氏に、当時の思い出を語ってもらおう。(文中*印は編集部注釈)

寝耳に水だった阪神へのトレード、近鉄監督は絶句した

 00年、近鉄にいた私は、初めて一軍でプレーし、76試合に出場して、初ホームランも打ちました。足にも自信があって8盗塁を記録し、来年に望みを繋げる形でシーズンを終えることができました。

 秋季キャンプでは監督だった梨田(昌孝)さんから「来年、開幕一軍いけるようになってもらわないと困るぞ」といわれて、紅白戦ではずっと1番を打たせてもらっていました。

 当時の左のエース・前川勝彦(PL学園)から四球を選んだりして、紅白戦で活躍することもできました。梨田さんからは「お前、今日の野球をやれば、来年は開幕一軍いけるぞ」という言葉ももらっていたんです。

 そんなとき、球団に呼ばれました。阪神へのトレードでした(*阪神から湯舟敏郎・山﨑一玄・北川博敏、近鉄から平下氏と酒井弘樹・面出哲志が移籍する3対3の大型トレードだった)。

 梨田さんに報告すると「えっ!オレは来年、おまえを1番で考えていたのに…」と、言葉を失っていましたね。このトレードは、近鉄球団からではなく、野村克也監督が仕掛けたものだったんです。

「サッチーがお前を呼んでいるぞ」

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