1月24日、センバツ大会出場校32校が発表され、いよいよ高校野球も春を迎えようとしている。一方、センバツ切符を逃した学校は、昨秋の悔しさをバネに日々練習に励んでいる。「一冬超えれば化ける」とも言われるこの期間。春、夏でリベンジに燃える球児たちは、どんな成長を遂げているのか。全国各地で巻き返しを誓う学校の「今」を指揮官の言葉からひも解く。

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「もうこれは一生背負っていかなきゃいけないものだと自負しています」

 2024年の春、関東王者に輝いた白鴎大足利の若き指揮官・直井 秀太監督が、そう語った一戦は、夏の栃木大会だ。

 関東王者という看板、さらにはプロ注目のエース・昆野 太晴投手を擁し、優勝候補の一角として迎えた初陣・鹿沼商工戦は、延長タイブレークの末に2対3で惜敗。

「どれだけ野球にかかわれるかわからないですが、監督人生の中であの試合はどんな時でも思い出して、振り返らないといけない」と直井監督は強く、そして深く心に刻んでいた。

「大会前はできる限り、携帯を見ないようにしていました。外部の情報を目したくなかったんです。もともと、関東大会が終わった段階で、取材や選手とのミーティングで『夏は別の戦いになる。加えてすごく難しくて苦しい大会になる』ことは話していたんです。それでも終わってみたら、私の指導不足、もっと丁寧に慎重にコミュニケーションを取れたらと思うところがあります」

 直井監督自身は現役時代、3年生の春にセンバツ出場をしている。周りから注目されることを経験していたのだが、その時とは「似ているところもあれば、全く違う部分もあった」と振り返る。

「成績面は似ていたかもしれません。ただあのときは栃木で負けたけど、関東で勝ってセンバツを決めたし、何より県内には田嶋(大樹)くん(佐野日大JR東日本ーオリックス)がいた。県内を代表する好投手が倒さないと甲子園がなかった。そこを意識していたので、追われる立場である以上に、追う立場という感覚が強かったです。

 昨年も作新学院の小川(哲平)くんという好投手もいて意識していましたけど、選手たちは追われることを意識しすぎてしまったと思います」

 直井監督は自身の経験談を丁寧に選手たちへ伝えてきたが、結果には結びつかなかった。「いろんなチームと対戦して、経験を通じて未熟であることを感じて苦しい時間もありましたけど、選手たちには感謝しかない」

 その経験を糧に昨秋、新チームが始動したわけだが、3回戦で国学院栃木の前に敗れた。

「先輩たちの世代から、ベンチ入りしていたのは5人だけだったので、『大会がどういうものなのか』ということはもちろん、誰が中心になってチームを引っ張るのか。主将である佐々木(章汰)主将はもちろんですけど、誰に責任を与えながら、試合で結果を出すかというコミュニケーションは意識してやりました。

 しかし、夏に植え付けられた敗戦に対する恐怖心が、どうしても払拭しきれなかった。そこは敗因の1つにもなっていると思います」

 同校が最後に甲子園に出場したのは2014年。夏に至っては2008年を最後に遠ざかっている。16年間聖地から離れている状況を直井監督は受け止めながらも、甲子園への強い思いを口にする。

「16年間も甲子園に届かないのは、絶対に自分たちに理由があると思います。そのうえで本気で甲子園を目指せるチームを目指していくわけですが、秋は3回戦で終わっています。そこからいきなり変わるのは、簡単じゃないです。

 でも夏、そして秋に悔しい思いをして、その姿を見て後輩たちが『自分たちこそ』と思って頑張る。そういう流れが受け継がれていくと、小さな土台でもチーム力は高まっていくと思うんです。だから先輩たちが築いた功績に慢心せず、勝てていない現実を受け止めて、新しい白鴎大足利を、若さを前回に出して、活気あるチームに出来たらと、選手たちと話し合って頑張っていきます」

 まだ監督2年目が終わったばかりの直井監督。新生・白鴎大足利は「あの夏の負けがあったからチームは強くなった」といえる結果を、春、そして夏に繋げられるか。先輩たちの思いも背負い、2025年も戦う。