第97回選抜高校野球大会(センバツ)は3月18日に開幕(阪神甲子園球場)を迎える。大会開催を前に、出場校の過去のセンバツの戦いぶりを振り返る「出場校あの日・あの時」を紹介していく。今回は1994年に初優勝を飾った智弁和歌山(和歌山)。

 智弁和歌山は今回のセンバツで2年ぶり16度目の出場となる。すっかり全国の強豪チームとして認識されているが、そのスタートといえるのが1994年センバツの初優勝だった。

 初戦で秋田(秋田)に勝利すると、2回戦で横浜(神奈川)、準々決勝では宇和島東(愛媛)、準決勝ではPL学園(大阪)を破り、決勝で常総学院(茨城)に競り勝って優勝を収めた。1回戦から決勝までの5試合すべて2ケタ安打。当時の甲子園を代表する強豪校を次々と破っての優勝に、新たな時代の幕開けも予感させた。

 倒した相手には、そうそうたるメンバーがいた。横浜には多村仁(のちに多村仁志、横浜、ソフトバンクなど)、PL学園には大村三郎(のちにサブロー、ロッテなど)、当時2年生だった福留孝介(中日、カブスなど)ら、のちにプロ野球で活躍した選手がズラリと並んでいた。そんなタレント軍団に、左腕の笠木伸二投手と、右腕エース・松野真人投手(ともに3年)が立ち向かい、勝利をつかんでいった。

 勝ち方もカッコよかった。秋田横浜相手には打線が爆発して快勝。宇和島東戦では9回に4点差を逆転するミラクル攻撃からの延長戦で競り勝つと、PL学園には序盤でリードを奪って逃げ切り。決勝では中盤に一気に逆転するも8回に追いつかれる一進一退の攻防の末に、9回に勝ち越して勝利を収めた。勝負強さと二枚看板の投手陣の継投策。今も受け継がれる智弁和歌山の戦いぶりのまさに原点ともいえる。

 打撃力をアップさせ、内野手、外野手兼任の投手を育てるなど、智弁和歌山の名将、高嶋監督のチーム作りのスタイルがトレンドにもなっていく時期とも重なる。

 なお、春夏合わせて智弁和歌山が甲子園の決勝に進んだのは、この1994年を皮切りに8回ある。そのうち、夏は4回中、3回優勝を果たしているが、春は優勝以降の3回すべて準優勝に終わっている。

 今年も、プロ注目右腕・渡邉 颯人投手(2年)ら、タレントをそろえ、優勝候補の一角に名前が挙がっているが、原点ともいえる優勝の再来となるのか。

1994年智弁和歌山の戦歴

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