野球人口の減少がいわれて久しい。全国の高校野球部員は2014年の17万312人をピークに減少に転じ、24年度は12万7031人。鹿児島県は08年の3413人がピークで24年度は2101人だった。1つの学校では9人そろわず、2校以上の学校で合同チームを組むところも年々増えている。
離島の奄美は22年夏以降、部員が9人に満たず、合同チームで大会に出続けていたが、10人の新1年生の入部で部員が女子マネジャーも含めて13人となり、24年秋の鹿児島大会は2年ぶりに単独出場が叶った。何も手を打たなければ、部員は減り、野球部がなくなった学校もある中で、奄美はどんな取り組みが部員増につながったのか?
24年4月、垂水(たるみず)から奄美に異動となった酒匂千速監督は「新天地」に期待するものがあった。教員になって17年目、まだ期限付きだった頃の南大隅、正式採用になった後の川辺、垂水で野球部の監督をしてきたが、人数がなかなかそろわない学校が多かった。川辺(かわなべ)の18年秋以降は単独でチームが組めず、合同チームにならざるを得なかった。垂水では赴任した最初に入部した1人の1年生が卒業してからは野球部がなくなった。
奄美も22年夏以降、合同による出場が続いていたが「そもそも全校生徒で300人を超える規模の学校が初めてだった」と酒匂監督。聞けば中学時代の野球経験者で野球部に入っていない生徒も数人いるという。「やり方次第では、単独で出られるのではないか」と期待するものがあった。
幸運なことに「人を集めるのが得意」と胸を張る後藤光教諭も同じタイミングで奄美に赴任してきた。後藤教諭は前任の川内商工で1人しかいなかったローイング部(※)を3年で50人の部員数にした実績がある。「自分にはないものを持っている」と感じた酒匂監督は部長になった後藤教諭に、部員集めは全面的にお願いすることにした。野球の技術的指導やチームの方向性は酒匂監督が担い、部員たちの心のケアや日常生活のサポートなどは後藤部長が中心になる。二人三脚での新生・奄美野球部がスタートした。
※ ボート競技のこと。23年から「ボート」から「ローイング」へ名称変更した