・ローイング部での経験

 後藤部長は宮崎県の佐土原出身。入学する前年に夏の甲子園に出場したこともあり、甲子園出場を目指して野球に熱中する高校球児だった。3年間で甲子園出場は果たせなかったが、その分「指導者になって甲子園出場を目指したい」と教員になるモチベーションになった。

 鹿児島大の教育学部を出て、鹿児島県の高校電気科の教員となる。初任の鹿屋工で4年、2校目の川内商工で8年勤め、24年春から奄美に異動になった。野球の指導者を志して教員になったが2つの学校で持った部活動は野球ではなく、専門外のローイング。12年間、野球部に関わることはできなかったが「ローイングを経験した12年が間違いなく今も生きている。あの経験がなかったら、ただ経験者を集めて甲子園を目指すだけの指導者で終わっていたでしょう」と笑う。

 鹿屋工では毎年20人ほどの部員がいて部員集めに苦労することはなかったが、川内商工では部員1人しかいないところからのスタートだった。「人集め」の特技はここで真骨頂を発揮する。

 動画を作成し、YouTubeにアップする。体験会案内のポスターを作成し、校内のあちこちに貼る。電気科の教員の特技を生かしIT技術をフル活用してローイング部の存在をまずは知ってもらう工夫を凝らした。

 何より大切なのは「体験会に来てくれた生徒に楽しんでもらう」ことだ。ジュースやお菓子なども用意し、上下関係も厳しくない楽しい雰囲気づくりに気を配った。保護者のLINEグループも作り、遠征などがあったら楽しい雰囲気で練習している様子などを写真や動画で流した。定期的に保護者にも練習会場に来てもらい、部員と一緒にボートを漕いでもらう体験会も実施。部員と指導者だけでなく、周囲も巻き込みながら楽しい部活の雰囲気を作っていった。

「高校から競技を始めることも最大限利用しました」。他の競技なら中学までの経験者と勝負しても分が悪い。ローイングは高校から始める選手がほとんど。県大会に出場すれば、即九州大会や全国大会に行けるというのも魅力として伝えた。そういった努力が実り「体験会に来てくれた生徒はほとんど入部してくれた」という。

・それぞれの「きっかけ」

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