・それぞれの「きっかけ」

「1年前とは真逆。当時は声も少なくて、やれるメニューも限られていた」

 奄美の玉利彪雅主将(2年)は言う。1年前の冬は同級生2人と当時2年生の2人、計5人で練習をしていた。今は1年生10人が加入し、単独でチームが組めて、様々なメニューができる喜びを感じながらトレーニングに励む日々である。

 24年4月、新年度が始まってから後藤部長が中心となって部員勧誘活動が始まった。川内商工のローイング部の時と同じく、動画やポスターなどを積極的に活用した。

 部活動紹介用に、高校生に人気の野球ゲームを模した映像などを組み合わせて、オリジナル動画を作成。校内には「野球、しよううぜ!」とチームの集合写真と個人のプレー写真を組み合わせた体験会案内のポスターを作り、校内のいたるところに貼った。

 ポスターや動画が直接のきっかけになったかどうかは未知数だが、少しでも野球部に興味を持って、体験会に来てくれた生徒には「ぜひとも続けてもらいたい」とローイング部の時と同じようなフォローを心掛けた。

 部員12人のうち、未経験者が7人いる。玉利主将は元々、野球をやりたいと思っていたが、田検中には野球部がなかった。22年春、大島がセンバツに出場したのを見て「島の高校生でもやれる。高校では野球をしたい」と野球部の門を叩いた。

 1年生の伊東志音は小宿中3年の6月にペイペイドームであったプロの試合を見てから野球の楽しさに目覚め、同級生の光柊空や林彪馬と遊びでキャッチボールをするようになった。「悩んで迷った」が高校では野球部に入ろうと決めていた。

 徳田紳之助は中学の頃、野球部に入ったが、事情があってすぐにやめてしまった。「親にユニホームや道具も買ってもらったのに、すぐにやめてしまったことが申し訳なかった」と心の中でずっと後悔していた。「野球を続けていたらどんな未来が待っていただろうか」と想像し、高校では野球部に入ると入学前から決めていた。ほぼ初心者でどこまでやれるかの不安はあったが、入学して校内にはポスターが貼ってあり、初心者でも大歓迎の雰囲気は心強かった。

 酒匂監督、後藤部長が考えていたように、経験の有無に関係なく潜在的に「野球をやってみたい」と思う生徒たちをひきつけ、「初心者にも敷居の低い野球部」がスタートを切った。

・うまくなる喜びを伝える

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