・うまくなる喜びを伝える
「最初に教えたのはボールの握り方、投げ方、バットの構え方、ごく基本的なことが中心でした」と酒匂監督は言う。
部に入っていなくても野球で遊んでいた昔の子供たちとはそもそもの感覚が違う。「できなくて当たり前」(後藤部長)の感覚で接することが大切だ。
飛んでくる硬式ボールは反射的に「怖い」と感じてしまう。グローブで「捕る」前に身体に当たらないように弾いてしまう。その「恐怖心」を克服することが野球を始める第一歩だ。強豪私学の鹿児島高校で野球部員だった酒匂監督や、甲子園を目指して野球をやっていた後藤部長たちが「当たり前」と思っていたところから、かみ砕いて伝えていかなければならない。素人の部員たちが「身の安全を確保し、安心してプレーできるようになる」(酒匂監督)からのスタートだった。
指導者として、野球人としても、これまでの野球観が覆るような体験の連続だったが「できなかったことが、少しずつできるようになる」姿を見守るやりがいを感じられるようになったと酒匂監督は言う。
2年ぶりに単独出場が叶った秋の吹上戦。勝ち負け以前に「ちゃんと試合ができるか」の方が心配だった。投手がストライクをとる。内野ゴロをさばいて一塁に送球してアウトをとる。飛球を捕球してアウトにする……。「経験者」にとって当たり前のことでも、高校から野球を始めた素人集団にとっては、それらを公式戦という独特の緊張感が漂う舞台でやり切る難しさがある。ミスが出て当たり前、ちゃんとできたら大きな声で褒める。0対7、7回コールド負けだったが、「成長の跡を見せてくれた」姿が随所に感じられた。
酒匂監督には野球を始めたばかりの小3と小1の息子がいる。「自分の子供の成長を見守る」のと同じ感覚で高校生たちが成長していくのをサポートする。指導者として新たな境地を切り開いたのを感じた。
・県大会で1勝を!
「ボールが怖くなくなり、打球の正面に入れるようになりました」と玉利主将は自身の変化を語る。最初は一塁手だったが、今は三塁手として守備を引っ張る立場でもある。1年前の自分がそうだったから、素人で野球を始めた1年生の気持ちが分かる。自分が体感したことを後輩たちに伝えて部を盛り上げている。酒匂監督や後藤部長は「今年、素人で始めた1年生が、1年後に今の2年生のようになる」ことを目安に指導していきたいと考えている。
入学した頃に比べて「成長できている」と徳田は感じている。練習がきつくて一度辞めたいと酒匂監督に相談したことがあったが「それでは中学と同じじゃないのか?」と発破をかけられた。「ちゃんと投げられるようになった」「打てるようになった」と指導者やチームメートが声を掛けてくれることにやりがいを感じ、野球をもっと知ってうまくなりたいと向上心を燃やしている。「レギュラーになって、勝てるチームになる」ことを大きな目標に掲げている。
やるからには「県大会で1勝して校歌を歌いたい」(玉利主将)という明確な目標がある。酒匂監督や後藤部長は「野球部がこうやって活動していることを、まずは学校の人たちに知ってもらいたい」と考えている。野球を思う存分楽しみ、その魅力を知ってもらいつつ、「野球部の部員たちが学校を引っ張っていく存在」にゆくゆくはなって欲しいのが指導者の願いでもある。
人を集めるための「特効薬」は存在しない。地道にできること、やれることに精力を傾け、集まった部員たちのために、楽しくてやりがいを感じられる、魅力ある野球部を作っていこうという、指導者の熱意が底に流れている。