「ロッテにいた時はZOZOマリンスタジアムで投げることができなかった。楽しく投げることができました」
男は笑顔で自らの投球を振り返った。
昨秋、島 孝明(東海大市原望洋)の“復帰”は大きな話題となった。
2016年、東海大市原望洋から「地元の星」としてロッテにドラフト3位で入団した島。153キロ右腕として将来を嘱望されたものの、わずか3年で現役引退していた。
それから5年、島は突如として12球団トライアウトに参加。そして151キロの剛球を投げ込んだのだ。
大きな期待を受けた高校時代、短すぎるプロ生活、トライアウト参加までの5年間————。島の野球人生を振り返る。
意識改革で最速153キロへ
――強豪・佐倉シニア時代から好投手として活躍した島さんが、東海大市原望洋に進んだきっかけは何でしょうか?
島 監督に薦められたのがきっかけですね。望洋は投手育成が上手いイメージがあったのと、学校の最終下校時間が決まっていて、最寄り駅まで距離も遠いので、駅までいくスクールバスに合わせて、野球部も下校時間に合わせて練習が終わるので、練習時間が短いチームだと聞いていました。
――投手育成が上手いイメージというのは実際入ってみていかがだったんですか?
島 全体練習はそれほど長くなく、投手については各自で自由に使える時間というのが設けられてたので、レベルアップにとっては自分にとって非常に良かったと思っています。
現在は慶応義塾大の大学院に通う島孝明氏
――中学時代の最速が131キロだった島さんは、東海大市原望洋の環境下ですぐに球速が伸びたんですか?
島 高校に入ってウエイトをとりいれていたんですけど、メニューとしてはひたすら走ったり、チューブトレーニングをしたりと、佐倉シニア時代にやってきたメニューが中心でした。それだと全然伸びなくて、壁にぶち当たって、このままでは駄目だと思いました。
――そこから何を変えていったんですか?
島 トレーニングに対する知識を身に付けたり、投げ方についても考えるようになりました。インターネットを使って、いろんな人がどういう投げ方をしているのかというのを真似したりして、繰り返して取り組んでいました。当時は広島に在籍していた前田健太投手(タイガース)、当時、メジャー1年目で活躍していた田中 将大投手(巨人) をよく参考にさせてもらっていました。
――意識を変えてからはストレートの球速は変わってきましたか。
島 そうですね。体も大きくなったことで、ストレートも140キロ台にも乗ってきて、 それでもまだまだ足りないことを実感していました。
――2年秋の公式戦で私が見た時は最速142キロ程度。そこから最終学年に150キロを超える投手にまで成長したのは驚きました。2年生の冬はどんな課題を持って練習に取り組んだのですか?
島 筋肉をとにかくつけようと思って、トレーニングを徹底的にやりました。高校1年の冬はチームでやっていることを流れでやっていていて、受け身の姿勢でした。2年の冬に関しては自分でどういったトレーニングがいいのかを調べて、チームのトレーニングだけではなくて、調べたものをプラスアルファしてやりました。
――高校1年生の時は前田投手、田中投手のフォームを参考に取り組んでいましたが、2年冬では投球のメカニック面ではどんなことを極めたのでしょうか?
島 トレーナーから体重移動がうまくいかない事を指摘されていて、軸足である右足から前足(左足)に力を伝えていく時に、前足に上手く乗り切らないまま投げていました。そこでスムーズに重心移動できる足の使い方に改善したら、球速、球質も良くなったと思います。軸足の使い方を改善するために、いろんな投手のフォームを参考にしていました。
――解禁明けの春の練習試合では調子が良かったのでしょうか。
島 最初のオープン戦で、最速150キロが出ていて良い感触でした。さらに県大会でも153キロが出ました。
――3年春の県大会では、ストレートも常時140キロ後半から最速150キロ出ていて、コントロールも非常に良かったですね。
島 あの時はめちゃくちゃ調子が良くて、久しぶりの公式戦で良い緊張感で投げる事ができて楽しかったです。スライダーもかなり決まっていました。
――自分の思い通りに投げる事ができた感じですか?
島 球速も出て、コントロールも良くしたいというのを理想にしていて、それを体現できたのが高校3年春だったと思います。実は左の足首の捻挫をしていて、先発で投げることは出来ない状態でした。テーピングを巻きながら投げていたんですけど、それでも投球の調子は良かったです。