世代トップの投手たちと肩を並べた

――夏の大会では先発として活躍し、ベスト8で早川 隆久投手(現楽天)擁する木更津総合に負けて、夏を終えましたが、島投手自身は大会を通して無失点でした。

 自分の中で出せるものは出し切った感じです。チームが負けたのは、当然凄く悔しかったですが、個人的には悔いのない大会でした。

――高校日本代表に選出されましたが、選ばれた時の心境はどうでしたか。

 思っていてもなかった選出でした。僕が風呂に入ってるときに、親から「ジャパン決まった」みたいな連絡を受けたんですが、全然実感なかったですね。


高校日本代表に選ばれ登板する島孝明

――当時の代表には早川投手や、西武の今井達也投手(作新学院)、楽天の藤平尚真投手(横浜)など超高校級の投手が多くいました。

 非常に貴重な経験だったと思います。中学のときから藤平選手はU-15代表に入っていて、有名だったのは知っていたので、そういった人たちと同じ場所に立てるのは光栄でした。

――プロ志望届を提出しましたが、調査書の状況とかはどうでしたか。

 全12球団から調査書をいただきました。どこが指名されるのか全然予想できなかったですね。

――ロッテ3位という結果でした。

 とても嬉しかったですね。お世話になった方、チームメンバーにもとても喜んでもらったので、指名の瞬間は非常に良い時間でしたね。

――入団が決まった時はどんな目標を掲げていましたか?

 自分はリリーフがメインとして投げる事が多かったので、将来はクローザーをやりたいな…とぼんやり浮かんでいました。

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島孝明(しま・たかあき)

1998年6月26日生まれ。佐倉シニアで投手として活躍し、指導者の薦めで東海大市原望洋に進学。下級生時から活躍し、3年春には最速153キロに到達し、安定して150キロを叩き出す剛腕へ成長した。高校日本代表に選ばれ、16年のアジア大会優勝を経験。同年のドラフトではロッテから3位指名を受けた。ロッテ3年間では一軍登板なしに終わり、育成契約打診があったものの固辞して、現役引退を決断した。ロッテ退団後は国学院大の人間開発学部健康体育学科に進学。4年間で中学・高校の保健体育科の教員免許取得し、24年4月から慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科への進学が決まった。24年の合同トライアウトでは最速151キロをマークした。現在も投球フォームの解析など野球についての研究を続けている。