「それは突如襲ってきました。ずっと苦しかったですね、良くなる未来は見えませんでした」

 島 孝明東海大市原望洋)はわずか3年間のプロ生活を振り返る。

 最速153キロ右腕として注目され、日本代表に選出された高校時代。ドラフト前には全12球団から調査書をもらうほど注目も浴びていた。ドラフトでは3位という高順位でロッテから指名を受ける。しかし、プロで待っていたのはあまりに苦しい日々だった。

第1回【島投手の栄光の高校時代】を読む

「いきなり投げられなくなった」

――プロ入りしてからの二軍成績を見ると、1年目は3試合で防御率43.20、2年目は11試合で防御率10.80と、高校時代を見てきた者としては驚きがありました。

 1年目の8月にイップスになってしまいました。6月までは普通に投げられましたし、打者相手には勝負ができていました。ただある夏の日の練習で、投げた時にいつもとはリリースの感覚が違うなと思い始めて…そこから崩れるのが早く、ボールをコントロールしきれない感じになってしまったんです。苦しかったです。

――腕がこわばって投げられない感じなのでしょうか。

 リリースの瞬間、いつ離れているのか分からない状態でした。それは脳自体の問題もあると思います。

――何がきっかけだったのでしょうか。

 はっきりとした要因は分かりません。いきなり投げられなくなった感じです。環境が大きく変わったことがあるかもしれません。高校時代からかなりハイレベルになり、知らず知らずに自分で自分を追い込んでしまったのがあったかなと思います。

――高校時代は、自分のフォームを言語化できて、思い通りに投球ができていたと思いますが。

 フォームが分からなくなってしまいました。何をしても、うまくいかない。だんだんそれも苦しくなってきました。これまで経験したことがない感覚でつらかったです。

――投手コーチにはどんな相談をしていましたか。

 当時の僕は人に何か相談するというのが、苦手でした。当然コーチの方は気にかけてくれたんですけど、あんまり頼ったりすることはなかったですね。

――今ではプロの投手が外部指導者に頼ってメカニックを極めることも多くなっています。

 自分も高校の時からお世話になっていたトレーナーの人とはフォームのチェックをやっていましたし、イップスについての相談もしていたんですけど、しかしその人もイップスの専門家ではないので、難しかったと思います。イップスが起こる症状、要因は人によって様々。それを改善するアプローチは明文化されていませんので、治すのはかなり難しいと思います。

「良くなる未来が見えなかった」

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