クラブチームから獲得オファーも…

――慶応の大学院に進んだきっかけは何でしょうか。

 国学院大に学んでいたことをもっと学びたいという知的好奇心が大きなきっかけです。野球の投球動作に関する研究をずっと行っています。

――大学院での研究内容は変わったのでしょうか?

 そんなには変わりはないですね。国学院大でやってきたことを引き継いで取り組んでいます。「どうすればボールの回転数は上がるのか?」という研究をしています。その中で実際に僕が投げたりして試しています。

――研究しながら投げている時というのは、イップスにならず思い通りに投げることができているんですか?

 国学院大に入ってからも何回かキャッチボールする機会があって、当時は心理学の先生と一緒にキャッチボールして、そこから投げられるようになった感じはありました。

――トライアウトを受けたきっかけは?

 タイミングが良かったのが一番です。大学院に入った昨年は1年間ずっとある程度投げられる手応えを感じましたし、トライアウトもNPB12球団合同での開催は最後みたいな噂もあったので受けようかなと思いました。

――受験しようと思ってから投球練習の強度も上げていったんですね。

 もちろん上げていきました。トレーニングをしたり、キャッチボールの回数を増やして、本番に臨みました。


トライアウトでファンに手を振る島孝明

――迎えたトライアウトでは速球が常時140キロ後半連発で、最速151キロをマーク。150キロ以上も何度か出していました。

 感覚については高校に近いものがあり、思い通りに投げることができて、楽しかったです。

――ほかの参加者の投手と比べてどうでしたか?

 あの日だけの投球を見れば、自分もいけるんじゃないかと思いました(笑)

――トライアウト後、クラブチームから誘いもありました。

 何チームかは声掛けいただいたんですけど、自分は学生をやりきりたいなと思ってるのでお断りさせてもらいました。

――ロッテにいた3年間は今の活動で生きていることはありますか。

 説得力が増しますね。野球の研究をやっていても、「元プロ野球選手なんですね」と声をかけられて、自分がやってきたことに興味を持たれることも多くてやってきて良かったと思います。

――大学院が終わった後は野球の指導者になる予定でしょうか?

 まだぼんやりしていますが、指導者もそうですし、何かしら野球に携わっていきたいと考えています。

島孝明(しま・たかあき)

1998年6月26日生まれ。佐倉シニアで投手として活躍し、指導者の薦めで東海大市原望洋に進学。下級生時から活躍し、3年春には最速153キロに到達し、安定して150キロを叩き出す剛腕へ成長した。高校日本代表に選ばれ、16年のアジア大会優勝を経験。同年のドラフトではロッテから3位指名を受けた。ロッテ3年間では一軍登板なしに終わり、育成契約打診があったものの固辞して、現役引退を決断した。ロッテ退団後は国学院大の人間開発学部健康体育学科に進学。4年間で中学・高校の保健体育科の教員免許取得し、24年4月から慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科への進学が決まった。24年の合同トライアウトでは最速151キロをマークした。現在も投球フォームの解析など野球についての研究を続けている。