3月18日に開幕するセンバツで連覇を狙う健大高崎。昨年、2年生ながらチームを全国制覇に導いたのが佐藤 龍月投手(3年)だ。その佐藤は昨年8月、左ヒジのトミー・ジョン手術を受けた影響で、まだ登板ができない状況だ。ただ持ち前の野球センスの高さを活かし、今大会は野手としてベンチ入りしている。佐藤はどんな思いで長期離脱必至となる手術を受けたのか。半年経った現状や、この1年の目標について語ってもらった。

夏の大会で肘は限界だった

————まずトミー・ジョン手術を受けたきっかけとして、ヒジの痛みはいつから感じていたんですか。

佐藤龍月(以下 佐藤) 2年生の時から少しずつ痛みを感じていて、 夏の群馬大会3回戦・桐生第一戦が投げ終わった後に限界が来たなという感じでした。

————それでも準決勝の前橋育英戦でもリリーフしていました。

佐藤 あの時は痛み止めを飲んでも痛かったですね。

————胴上げ投手となった決勝の前橋商戦も痛みを抱えながら投げていたんですね。

佐藤 決勝の時は腕が上がらないぐらい痛かったですね。


昨夏の群馬大会決勝戦で9回のマウンドに立った佐藤龍月

————2年夏に手術となれば、3年夏も登板できるか危うい状況となりますが、それでも受けようと思った理由は何でしょうか。

佐藤 将来的にトミー・ジョン手術をした方が有利というのもありますし、投手として道を極めるならば、絶対に誰もが通る道だと思っています。それを早めにできたというのは良かったと捉えています。

————健大高崎入学前のメディカルチェックで、佐藤投手はヒジを痛める兆候があったと聞きました。

佐藤 中学時代からヒジの違和感は持っていました。

————出身チームの東京城南ボーイズの指導者からは大事に起用されたと聞いています。

佐藤 そうです。僕の故障は登板負荷というよりも、投球フォームの問題、スライダーなど負担がかかりやすい球種を投げていたのもありました。色々なことが関係してヒジに負荷がかかっていたと思います。

————手術が終わった後はどんなリハビリから始めていたんですか

佐藤 可動域を出すための練習から始めました。

————リハビリをされる中でどんなピッチャーになりたいと考えるようになりましたか?

佐藤 今までの投球を振り返ると、変化球に頼っているところがありました。これからは 直球の質、 速さをもっと高めて直球でどんどん押すようなピッチャーを目指していきたいと思います。

「高卒プロ入り」の目標は変わらない

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