2009年の第1回大会でえひめ西リトルシニアを準優勝まで引き上げたロッテの澤田 圭佑投手(大阪桐蔭立教大)をはじめ、第8回大会MVPの東京ヤクルトスワローズ・武岡 龍世内野手(徳島ヤングホークスー八戸学院光星)、昨年中日に6位指名された有馬 惠叶投手(宇和島ボーイズー聖カタリナ)など、四国出身NPB選手たちの多くが試合経験を積んできた「少年硬式野球四国選手権大会」。

 2014年には夏の中学硬式野球日本一を決するジャイアンツカップ四国地区予選の冠も加わり、新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった2020年を除き、ここまで15回の歴史を重ねてきた。今年も中学硬式野球チームがない高知県を除く四国3県から、ヤングリーグ12、リトルシニアリーグ12、ボーイズリーグ16、ポニーリーグ2の計42チームが参加。愛媛県松山市の坊っちゃんスタジアムを中心とする8会場で4月5日(土)から3日間の日程で開催された。

 大会は前回大会で初優勝、ジャイアンツカップでも8強入りした生光学園中ヤング(徳島)が初戦で徳島藍住シニアに0-3で完封負け。同準優勝の伊予三島シニア(愛媛)も準々決勝で高松庵治ヤングストーンズ(香川)に3-10で敗戦するなど、春の各リーグ全国大会に出場したチームがすべて準々決勝までに敗退する波乱続きの中、決勝戦は松山ボーイズと宇和島ボーイズとによる愛媛県勢対決が実現した。

 試合は松山ボーイズが3回表までに4番・有馬 巧登捕手(3年)の2打点などで4点を奪って主導権を握ったが、宇和島ボーイズの2番手・舩見 颯真投手(2年)が追加点を防ぐ。3対4で迎えた5回裏には5番・舩見の左前勝ち越し打など3点を奪い逆転に成功した。

 松山ボーイズは準決勝で先発したエース左腕・坂上 大河(3年)が大会規定の球数制限により登板が叶わなかったことが響く形となったが、最終7回表に二死満塁と攻め立て初優勝への執念を見せた。しかし、最後は6回表一死から再びマウンドに上がった寿崎が投ゴロで締め、宇和島ボーイズの2大会ぶり2度目の中学硬式野球四国頂点とジャイアンツカップ出場が決まった。

 現チームは春の全国大会出場を逃し、今大会もエース右腕の山口 慶大投手(3年)がケガで大会登録を回避。「このひと冬で2年生投手は頑張ってくれていたが、正直来年のチームと思っていた」小川洋監督にとっても、自らが宇和島東のエースとして初出場初優勝した1988年第60回センバツから37年を経ての「奇跡の優勝」となっている。

 その半面、奇跡を起こす要素は小川監督から育成方針を聴くと必然とも言える。宇和島ボーイズは現在、3年生18人、2年生17人、1年生17人、計52人の大所帯。かつ選手たちの居住地も宇和島市から自家用車通勤で2時間半の今治市、同じく3時間以上かかる高知県高知市など広範囲に渡る中、チームは学年別に練習試合を組み、選手ごとの打席数も極力平等になるように配慮。

 一例をあげれば宇和島ボーイズ時代は控えの外野手だった有馬 惠叶(現・中日)も「3年夏最後の公式戦を終えてから、3年生だけでチームを組んだ時に多くのポジションを経験してみようということで投手もしてもらった」ことが、聖カタリナ3年時の急成長でプロ入りを勝ち取る最初のきっかけとなっている。

 加えて終始貫かれたのは「フォア ザ チーム」の精神である。今大会では右打ちのリードオフマン遊撃手」として躍動。準決勝では左越ランニング2ラン、決勝戦でも5回裏の3得点を引き出すバント安打含む4打数3安打を放ち、大会MVPに輝いた小笠原 虎太郎(3年)も「正直優勝できるとは思っていなかったが、全員野球を徹底できた成果だと思う」と胸を張った。

 かくして2年ぶりにジャイアンツカップへと足を踏み入れる宇和島ボーイズ。主将の小笠原は「この代のチームにとって初の全国大会になるので、一戦必勝で臨みたい」と謙虚に意気込みを述べたが、今大会6試合で着実に成長してきた自信は実に尊いもの。宇和島ボーイズには四国中学球児の代表として、個とチーム力を育てる姿勢を中学硬式野球最高峰の舞台で貫いてほしい。