目次

[1]努力家の兄の存在が大阪桐蔭入学につながった
[2]プロの先輩・西岡剛のメッセージが浅村を変えた



 

 現在、数多くの逸材をプロ野球に輩出する大阪桐蔭。その中でトップレベルの活躍を見せているのが、浅村 栄斗(東北楽天)だ。2013年に110打点を挙げ、最多打点を獲得。2018年は127打点を挙げ、5年ぶりの打点王を獲得し、10年ぶりのリーグ優勝を達成した。2019年に東北楽天に移籍し、自己最多の33本塁打を記録。現在、通算180本塁打、通算1317安打を記録し、いずれは2000安打を狙える大打者へ成長した浅村。そんな浅村の高校時代について名将・西谷浩一監督に語ってもらった。

努力家の兄の存在が大阪桐蔭入学につながった


 2005年夏、甲子園ベスト4入りし、全国トップレベルの実力を発揮した大阪桐蔭。当時から大阪桐蔭は選手が行きたいから必ずいけるチームではなく、大阪桐蔭の指導者が合否を判断し、1学年20人程度の入学者を決める。常に全国制覇を目指している西谷浩一監督なので、当然、中学生を見る基準も厳しくなる。その目線だと、中学時代の浅村の評価は、「良い選手だけど、争奪戦になるまでの選手」ではなかった。

「平田(良介・中日)、中田(翔・北海道日本ハム)、森(友哉・埼玉西武)が当時からプロに行く光るものを持っていましたが、逆に浅村は目立たないほうの代表例でしたね」

 そんな浅村と大阪桐蔭が縁を持つきっかけになったのは兄・展弘さんの存在があった。
「浅村のお兄ちゃんは、中村(剛也・埼玉西武)、岩田(稔・阪神)と同級生でした。努力して一般で入ってきた選手でした。残念ながらベンチ入りはできませんでしたが、とても努力家で、チームのために尽力してくれました。その努力が奈良産業大で花開き、首位打者とベストナインを獲得したんです」

 中学3年の時、浅村父が西谷監督に連絡して、浅村のプレーを見て、入学させることを決めた。
「中学の時点では、プロに行くような選手にはまだなかったです。実際に努力家のお兄さんの存在がなければ、見に行くことも、合格させることもなかったかもしれません」

 入学すると、浅村の身長が伸びていることに気づく。日々成長している姿を見て西谷監督も楽しみな選手に映った。
 1年秋には内野手が少ない事情もあり府大会からベンチ入り。だが、「まだプレーが雑でした」と判断され、近畿大会からベンチを外れ、選抜でも出場がなかった。

 しかし夏にかけて打撃が急成長。まだ下位だったものの、7割近い数字を残し、プチブレイクを果たす。

 さらなる飛躍と2年連続の選抜を目指して臨んだ秋季大会だったが、PL学園に7回コールド負けを喫してしまう。厳しい冬の練習に入ったが、浅村は甲子園出場とプロ入りを目指して、練習に取り組んでいた。そしてターニングポイントとなった出来事があった。