大阪桐蔭は1991年夏の甲子園で優勝してから、甲子園の大阪桐蔭=本塁打というイメージが根付いた。夏の甲子園で通算55本塁打を記録しているが、いったいどんな指導があったのか。甲子園で2本塁打を打っている山田健太(立教大)や、大学生を代表するスラッガー・山本ダンテ武蔵(國學院大)にきいた。



甲子園に入っての打席のアプローチ


 まず山田が西谷浩一監督に教わったことは、甲子園のフィールドの感覚を掴んだ上に打席に立つことだ。

 「高校の時から西谷先生に言われていたことなのですが、甲子園はバックスクリーンが大きいので、いつも通りやると見上げてしまってフライを打ってしまうので、上から叩くというのを甲子園ではよく言われていました」

 これは山本も同じことを意識している。

 「金属バットだと上から強く叩く意識でやっていました。やはり低いライナー性の打球を打つことを求めていました。基本的に打撃フォームについてあまり細かく言われることはなく、個々の意識でやっていました」

 大阪の選手が必ず経験するのは、両翼100メートルの大阪シティ信用金庫スタジアムでプレーをしなければならないことだ。打席でのアプローチは甲子園と同じだと山本は語る。

 「舞洲は本当に広いので、ホームランを狙うとフライになってしまいますし、やはり甲子園と同じアプローチの仕方でやって、低く強い打球で点を積み重ねる意識で、走塁、守備を重視していました」

 2人が共通して語っていたのは甲子園では特別な場所で、能力以上のパフォーマンスを発揮できるということだ。山本はセンバツ決勝で代打本塁打を放った西島一波を例に出した。

 「西島は非常にミートが上手くて、広角に打ち分ける技術が高い選手なんです。いわゆるアベレージヒッター的な選手が、甲子園であれほど大きいホームランを打ったことに驚いて、みんなで沸きました。甲子園はそういう場所なんだと思います」