ドラフト史上最高齢での指名を狙う、『くふうハヤテベンチャーズ静岡』の平間 凛太郎投手(山梨学院)、30歳。彼の生命線と言えるのが、縦に大きく割れる魔球、通称”ナイアガラカーブ”である。
平間の自信の源でもある魔球について話を聞いた。
前編:<「遠回りはしたけど苦労人ではない」平間の決意>を読む
“魔球”習得のきっかけは、中日のエース!
ナイアガラカーブ習得のきっかけになったのは、現在中日に在籍している柳 裕也投手(横浜)だった。
野球好きの両親に生まれた平間。3歳の頃からストラックアウトにはまると、計10台買い替えるほど遊びつくしたという。幼い頃から常にボールに触れてきた平間少年は、人一倍肩が強く、世田谷シニア時代、日本代表に選出された。そこで出会ったのが、現在中日で活躍する柳投手だった。
数年後、平間が山梨学院2年時、夏の甲子園で柳と再会する。柳は当時2年生ながらエースとして横浜を甲子園に導いた。一方の平間はスタンドから応援する立場だった。
「甲子園で再会した時に、カーブの握りを教わりました。3年生の春の関東大会で横浜と対戦したときに教わったカーブを投げたんです。試合はコールド負けでしたが、柳投手からカーブを評価してもらいました」
柳から教わったのはカーブの握り方とリリースポイントの2つだ。
「ポイントは『体の遠くでボールを離す』こと。カーブは『前で離せ』って言われることが多いですが、教わったリリースポイントが僕に合っていました。そうすることで曲がり幅も大きくなりますし、バッターの見たことのない軌道になるんです。NPBのバッターにも通用していますし、初見のバッターだったらほとんど打たれてないです」
だが、実際にカーブが武器になったのは、社会人・東海製鉄REXに入社してからだという。
「社会人最初の登板で、後藤田(将矢捕手・東洋大姫路)さんや、竹村(祐太朗捕手・明豊)さんに『お前カーブいいな』って言われてびっくりしました。僕も理由は分からなかったんですけど、試合でもカーブのサインが出ました。コントロールも良くなかったですけど、それでもサイン出続けるので『自分って本当にカーブのピッチャーなんだと』思ってカーブを見直してみようと思うようになりました」
握り方や技術的な問題を教わったのは柳だが、実戦でものになったのは意外にも25歳超えてからだった。その後、所属した四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスでもカーブを活かした。特に1年目のオフにはより磨きをかけるため、体の強化も力を入れたという。
「1年目はカーブのストライク率が悪かった。そこで下半身を強化するためにスクワットを270キロ上げたりしていたら、2年目にカーブを自由自在に投げられるようになりました」
カーブの精度を磨いた平間は2年連続のセーブ王、3年目には先発として最多勝、最優秀防御率の2冠を達成。先発、抑えで活躍し、当時の四国ではまさに敵なし状態だった。