<文部科学大臣杯第76回全日本大学準硬式野球選手権大会:九州産業大7-5法政大>◇27日◇準決勝◇さがみどりの森県営野球場

24日から始まった文部科学大臣杯第76回全日本大学準硬式野球選手権大会。準決勝第1試合は中央大が制したが、2試合目は九州産業大が7対5で法政大を下し、決勝進出を果たした。

4回までは点数の取り合い。5対5と早々に先発投手が下りる展開となるなか、先に抜け出したのが九州産業大。無死満塁から、8番・柴田琉希外野手(2年=筑陽学園出身)と9番・上津原崇瑠内野手(2年=筑陽学園出身)の適時打で勝ち越し。7対5とした九州産業大は6回以降、3番手・田中翔投手(2年=東福岡出身)のリリーフで勝利。優勝まであと一歩と迫った。

勝利が決まった瞬間、「最後は信じるだけでしたけど、選手たちのおかげで決勝までこられた。選手がよくやってくれました」と満面の笑みで、決勝進出を喜んでいたのは吉村南杜(4年=香椎出身)だ。

今年が4年生、集大成の大会でベンチ入りを果たし、毎試合チームのために貢献しているが、彼の名前がスタメンに並ぶことはない。

選手から学生コーチに転身し、試合中は3塁コーチャーボックスに向かい、打席の仲間たちに声援を送りつつ、右腕を回す。試合後も整列に並ぶことなく、指揮官・奥村浩正監督の横に並び、一礼する。勝敗に直接的にかかわることは少ない。でも吉村の存在は「大きいです」とチーム関係者が揃って口にする。決勝進出の立役者の1人であることは間違いないだろう。

特に今年、大学準硬式でも新基準バットが適用されており、関係者の口からも飛距離が落ちたという声を耳にしていた。高校野球同様、ロースコアの試合展開になる分、走塁が勝負の分け目になることが増えており、コーチャーの重要性は高まっている。

この試合も、「5回に上津原の適時打で、2塁ランナー・角田を迷わず回せたのは良かったです。彼は走塁に自信がなかったですが、相手野手の捕球体制が悪かったので、迷わず右腕を回しました」と、吉村は些細なチャンスを見逃さず、ダメ押しの7点目をアシストした。

普段の練習から取り組んでいる成果だと振り返るが、そもそも吉村は選手として、香椎から九州産業大の準硬式の門をたたき、2年生まで第一線で活躍していた。

「2年生の夏が終わったころに考えたんです。肘や腰のケガもありましたが、同級生に森や柳原、内海っていうライバルがいたので、『学生コーチの立場からサポートした方が強くなる。自分の最善の役割かな』って思うようになったんです。

もちろん『お前が受けてくれたら、投げやすい』っていうので引き留めてくれる仲間もいました。けど、将来は教員を希望していたので経験を積みたかったし、主将の城戸に相談して『お前がやってくれたら』って背中を押してもらえたので、決心がつきました」

自分の将来、そしてチームのためにコーチへ転身した吉村。試合に出場する機会は無くなったが、代わりにコーチとして練習メニューを組んだり、試合になれば3塁コーチャーとして指示を出したりする。責任が増えた。

それらすべてが上手くいくことがあれば、判断ミスでアウトになることもある。指示を出す側に回り、違った苦労も当然味わった。

「先輩がいた時は、沢山怒られました」と下を向くこともあったという。それでも、「周りの支えのおかげで出来ていると思います」と周りへの感謝を語りながら、準硬式で学生コーチをしているからこそ、得られる経験も多いそうだ。

「裁量を多く持たせてもらえていると思います。高校野球など硬式だと、監督はじめ指導者に決定権があるケースが多いですが、少なくとも九州産業大は裁量を学生に渡してくれています。そこには難しさ、厳しさもありますが、監督の考える野球をくみ取って、主体的に考えて野球ができる。そこが準硬式の良いところだと思います」

だから、チームのために最良となるメニューや判断を下すことを忘れずに、日々コーチをしている。ときには心を鬼にして厳しいことをすることもあるだろうが、「選手時代よりも、今の方がチームに携わることが出来ている。試合中はチームを信じるしかできないんですけど」と充実感を味わいながら、ここまでやってこれているようだ。

そんな吉村には、大事なアイテムがある。「学生コーチになった時に、サプライズでもらった」というノックバットである。選手全員から買ってもらったということで、試合前のノックなどで使っている。こうしたところからも、同じ学生であり、仲間として立場関係なく大事にされているのは十分伝わってくる。

そのノックバックを使えるのはあと1試合。決勝戦でも仲間のために、最善を尽くし、違った形で日本一に貢献できるか。選手だけではなく、陰から支える学生コーチ・吉村も見逃せない。