10月24日に開催されるドラフト会議。今年、豊作と言われているのが高校生遊撃手だ。そのうちの一人として名前が挙がるのが、中村 奈一輝内野手(宮崎商)。「奈一輝」は「ナイキ」と読む。身長183センチ・73キロと細身ながら軽快な守備に投手としても140キロを超す強肩を売りにしている。
今夏の宮崎大会では1番遊撃手としてチームを支え、同校3年ぶりとなった甲子園では安打も記録した。プロ志望届は9月10日に提出済み。吉報が来ることを信じて運命の日を待つ中村に、プロ入りへの思いを聞いた。
候補にはプーマも……スポーツ一家から始まった”ナイキ”の野球人生
――甲子園に出た時も「ナイキ」という名前がかなり話題になったと思うんですけど、親御さんは野球されていたんですか?
中村 野球じゃなくてバレーをずっとやっていました。スポーツが大好きな家族です。親戚含めてもスポーツしていない人がいないような家族だったので、スポーツのブランド名で考えていたのかなと。
一人っ子 なんですけど、いとこのお兄ちゃんが野球をしていて、それに憧れて自分も野球を始めました。
――他に両親から候補に上がっていた名前はあるんですか?
中村 プーマ(風馬)とかもあったらしくて……。プーマと言われた時はちょっとないと思いました(笑)。今考えたらこっちの方がしっくりくるなと思います。
――中学時代はどんな選手でしたか?
中村 県央宮崎ボーイズでプレーしていました。当時は守備もぎこちなくて、全てのプレーで苦労しながらやっていました。バッティングの方では足に少し自信があったので、小技とかバントを中心に3年間やっていました。
1、2年生の時は外野がメインで、3年生になってからショートやセカンドを守っていました。打つ方は基本下位打線を打っていましたが、たまに2番を打ったり、3年生になったらたまに5番を打ったりすることもありました。
――中学時代から背は高かったんですか?
中村 現在は身長183cmで体重73kgですが、入学した時は身長が172cmくらいで、体重は69kgくらいでした。この2年間で身長も体重もかなり伸びました。
コロナで自粛している時に高校に入学しているので、当時は家からもなかなか出られない状況でした。練習もしたらダメと言われ、ずっと睡眠をとっていたら10cmぐらい伸びました(笑)。家族もびっくりしていました。
――持ち味の肩は中学校時代から自信がりましたか?
中村 中学校の時はチームの中でも5番目とかだったので、そこまで自信があったわけではないです。
――中学時代を考えると今のプレースタイルは想像できなかったですか?
中村 自分でもこんなに身長が伸びると思ってなかったですし、あまり想像できなかったです。レベルの高い高校に行きたくて、宮崎の中でも強豪の宮崎商に入りました。最初は不安だらけでしたけど、なんとかここまでこれたと思います。
――宮崎商は声がかかったのか、それとも自分から志願して進学を決めたのかどちらですか?
中村 橋口先生(光朗・宮崎商監督)が中学のチームの方に何回か来てくださり、 そこで「勉強とか私生活の面のちゃんとしなきゃいけない」と言われました。すぐに塾に入って勉強しながら野球もしている中で、最後には宮崎商に行きたい気持ちが強くなってきました。