この夏“戦国千葉”を制したのは木更津総合だった。ノーシードとしてスタートしたが、準々決勝でセンバツベスト4の中央学院をコールドで破り、決勝の市船橋戦ではサヨナラ勝ちを収め、6年ぶり8回目の甲子園出場を決めた。この粘り強さはどこから生まれるのか。そして明日の第2試合で強豪・神村学園との初戦を迎える同校は、千葉大会の粘り強さを見せることができるのか。

 OBで今年のドラフト上位候補に挙がる157キロ右腕・篠木健太郎投手(法政大)に高校時代での思い出、恩師である五島 卓道監督の印象に残った言葉などを語ってもらった。

――千葉の決勝戦は見ましたか?

篠木 その日は練習でしたので、練習後に携帯で見ていました。ちょうど見始めた時間が試合終盤でした。卒業してからも母校のことはずっと応援していましたし、木更津総合らしい粘り強い野球を見せてもらえて刺激になりました。甲子園を目指してあれだけ必死になれる高校野球は素晴らしいなと、改めて思いました。

――あの粘り強さはどこから来ていると思いますか?

篠木 日々の走り込みが大きいと思っています。木更津総合といえば、走り。年中、走っています。ポール間のダッシュなんて何本走ったのか……。4年前なので忘れてしまいましたが。グラウンドも坂道、階段、あぜ道など走るスペースが多いですし、いろんなランメニューがありました。砂浜で走ることもありますし、夏の大会を想定して妥協なくやっていました。

 そういうトレーニングによって内側から気持ちが出て、粘り強さが作られていったと思います。高校時代はウエイトをやったことはないですね。ほぼ走って、器具を使わない体幹トレばかりでした。

――群馬県出身の篠木投手がなぜ木更津総合に行きたいと思ったのですか?

篠木 甲子園で勝利した時に行う“全力校歌”の姿に惹かれたからです。そして早川(隆久・楽天)さん、山下(輝・ヤクルト)さんと好投手を育てているので進学したいと思っていました。

――群馬には健大高崎、前橋育英という全国レベルの強豪があって、篠木投手が小学校のときに前橋育英が甲子園優勝をしています。県内の強豪校には憧れはなかったのですか?

篠木 群馬の強豪校たちの甲子園での戦いはテレビでずっと見ていました。けれども木更津総合は“戦国千葉”といわれている激戦区で、さらに学校数も多い地域にもかかわらず甲子園常連になれるのはなにか理由があるのかな、と興味を持ちました。

――木更津総合の主力選手の進路を見ると早稲田大、法政大、明治大など東京六大学に進んで野球を続ける選手も多いです。こういった進路の強さも木更津総合を志望した理由でしょうか。

篠木 中学2年生のときに東京六大学を見て、憧れを持ちました。高校野球が終わったあとの人生を考えたとき、大学進学したいと思っていたので、進路がいい木更津総合を選んだのも理由の1つになります。

――木更津総合の練習を見た時、意外にも指導者が干渉しない自主練習が1時間ぐらいあることにも驚かされました。

篠木 技術が伸びる、伸びないのも自分次第でした。選手個人に責任が伴う環境でしたね。自分ができることを探してやらないといけないので。監督に指示されることなく、自分が考えながらやる時間は今振り返るととても良い時間でした。

人のために使った時間が自分に返ってくる

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