開成麻布とともに”男子御三家”とも称される東京の超進学校・私武蔵。同校の野球部が今夏、大健闘した。西東京大会3連覇を目指した名門・日大三に対して5回まで0対0と互角の試合を展開したのだ。

 惜しくも試合には敗れたものの、輝きを放った私武蔵。このチームを率いたのは、当時20歳の現役大学生監督だった。

19歳の現役大学生監督が誕生!

 指揮を執ったのは、杉山 晶人監督。2022年の夏までは私武蔵の野球部員だった。3年時にはチームの主将を務めた後、千葉大学に進学した。

 そんな杉山に、高校卒業後わずか半年の2023年8月、監督就任の話が舞い込んできたのだ。

 杉山は、千葉大学の硬式野球部に所属しているが、当時高校時代からの腰の疲労骨折が完治せず、リハビリを兼ねて母校の練習に参加していた。夏の大会を終えたころ周囲から「若手の監督に託したい」という声が挙がり、杉山に白羽の矢が立ったのだ。

「はじめは戻るつもりはなかったのですが、周囲の方々からも『やらないのか』と背中を押していただき、就任を決めました。この学校は伝統的にOBが監督を務めてきました。誰かがこの伝統を繋いでいかないといけないと感じていましたし、高校野球の監督はいい経験になると思って挑戦しました」

 当時杉山はわずか19歳。新チームと共にスタートした指導者生活は、半年前まで学生だった若者にとって苦悩の連続だった。選手たちからは「年齢が近いので話やすい」という声が上がった一方、選手たちの距離間や接し方には苦戦したという。

「最初は『人に空気を作らせること』に苦労しました。今までは自分自身が練習に参加していたこともあり空気を作ることができましたが、監督の立場になると選手自身が雰囲気を作る必要があるので、まずは『チームの空気を作れる選手』を育てることから始めました」

 チームはエース・尾花 優斗投手(3年)を中心とした守り勝つ野球を目指してきた。1点を奪って逃げきるためにも守備・走塁に時間をかけて練習に取り組んだが、選手たちの集中力が続かず、春季大会は得点力不足が要因で敗退してしまった。

「自分が選手たちを理解してあげられなかった。野球以外で失敗をしてこなかった頭のいい選手ばかり。自分の考えを曲げないことも多く、指導にも苦しみました」

 そうした状況で選手にも納得してプレーしてもらうため、「なぜ物を大切にしなければいけないのか、挨拶をするとどんないいことがあるのか、といった基本の部分から説明するようにしていました」と試行錯誤を加えながら指導にあたったという。

過酷すぎる「大学生」と「監督業」の両立生活

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