皆さん、こんにちは!! 『高校野球ドットコム』の河嶋です!

今回は、巨人の4年目・中山 礼都内野手(中京大中京)を取り上げます。中山選手はCSの第5戦でプロ初本塁打。CS最後の3試合は10打数5安打と成長を実感させる内容でした。

 中山選手は中京大中京時代、高橋 宏斗投手(中日)とともに19年秋の明治神宮大会を制し、このチームでは公式戦28連勝と無敗のまま高校生活を終えました。“中京大中京史上最強”と呼ばれたチーム主力打者として活躍しました。

努力なんて当たり前

 中山選手は中学時代、東海ボーイズでプレーし、評判の内野手として活躍。自宅からも近い中京大中京に進みました。祖父も父も中京大中京出身です。同校の高橋源一郎監督は「いろんな学校からお声がかかっていたと思いますが、彼の強い中京大中京志望はやはりおじいさん、お父さんの影響が強かったと思います」と振り返ります。

 中山選手は高橋投手、同期の印出 太一捕手(早稲田大)とともに1年生から公式戦に出場します。強肩強打の遊撃手として存在感を示し、秋の愛知大会、東海大会合わせて、1本塁打、31打点の好成績で優勝に貢献。神宮大会でも決勝の健大高崎戦で2安打を放ち優勝に貢献しました。

高校時代の中山礼都

この活躍の裏には猛烈な自主練習があったと、高橋監督は言います。

「中山は朝6時からグラウンドにきて、学生コーチのノックをずっと受けていました。朝の練習はずっと通してやっていましたね。彼がすごいのは『自分は努力している』とか『自分は頑張っている』などと思っていなかったところですね。上手くなりたい一心で練習していたんです。上手くなりたいから自ら進んで練習をする。こういう探求する姿勢を持った選手が伸びていきます」

 中山選手にとって、努力するのは当たり前の行為だったわけです。

 自宅が近いとはいえ、なかなか朝6時からの練習を続けるのは難しいものです。高橋監督は中山選手の意志の強さを高く評価しています。

「やり続けることが大事なのですが、彼はそれを1年冬ぐらいからずっと続けていたんです。中山が高卒からプロに行くことについて何の心配もしていませんでした。それだけ志が強い選手だったからです。逆にそこに不安がある選手では、プロでは通用はしないと思います」

「ライバルが多くても礼都は活躍してくれると信じている」

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