夏の藤浪晋太郎は無双状態
――2年生の夏に準優勝されて、3年生も春夏準優勝でした。ここからあと一歩の壁は高かったですか?
北條 大阪桐蔭に僕らの代は負けましたし、 2年の夏では日大三に結構ボロ負けでしたので、壁というのは凄く大きかったかなと思います。
2年の夏、日大三と戦った時は本当に手も足も出なかったっていう感じで、もう何もできなかったんで、それに比べると、大阪桐蔭だったら春はちょっとチャンスがあったかなっていうのもありました。でも、そこで勝ち切れなかったのは、やっぱり大阪桐蔭の方が上だったかなと思っています。
――大阪桐蔭には後に阪神でチームメイトになる藤浪 晋太郎投手(メッツ)がいましたが、どんな印象でしたか?
北條 春は夏に比べるとあまりコントロールは良くはなかったです。春は僕も打てましたし、チームとしても12安打打っていたので。でも夏に対戦した時はほんとに凄かったです・・・。前日に完封して疲れも出ているかなと思ったんですけど、コントロールも良かったですし、9回でも150キロを連発していたので夏は厳しかったです。
――高校野球の3年間を総括していかがでしたか?
北條 甲子園に出てなかったらプロまで行ってないと思いますし、 僕からするとやっぱり”甲子園で人生を変えてもらった”と思っています。今の高校生も甲子園で人生が変わる可能性もありますし、そこを目指してやるだけではなくて、活躍したらまた違う道もあると思うので、そのために頑張ってほしいなと思います。
「阪神はない」と思っていた
――プロ入りを現実的に考えたのはいつ頃ですか?
北條 高校2年生の秋くらいですかね。明治神宮大会のホームランを打った時にスカウトの目に留まったという話を聞いたので、そこからはより一層野球に真剣に取り組むようになったかなと思います。
――ドラフト会議では阪神から2位指名を受けました。指名された時はどんな心境でしたか?
北條 阪神はかからないかなという気持ちでドラフトを見ていたので、何も考えられなかったっていうのは覚えています。当時のタイガースはキャッチャーが欲しいという情報が流れていたので、田村が呼ばれるんじゃないかなって思いながら見ていたら、自分の名前が呼ばれたので、ちょっとびっくりしたというか、ちょっと戸惑いがありました。
――同じ光星学院のショートということで、「坂本勇人2世」と言われることもありました。その評価はどう受け止めていましたか?
北條 守備に関してもバッティングに関しても、全てにおいてまだまだだと思っていました。 僕は甲子園で活躍できて、それが評価として見てもらっていたので、実力としては全然ダメだなと思っていました。坂本さんとは全然違うと思って、もっと頑張らないといけないなと思っていました。
△三菱重工Westで練習に励む北條
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