7日、東京都高校野球連盟が海城高校にて指導者研修会を開催した。今年は早稲田実の和泉 実監督と関東第一の米澤 貴光監督が、東京都から集まった指導者を前に今夏の甲子園や東京都大会の戦いを振り返った。
講演では両監督の高校時代について質問が飛んだ。普段は聞くことのない貴重な学生時代について語る場面があった。
選手時代の一番印象に残っている試合について聞かれると、米沢監督は3年時夏の東東京大会決勝・修徳戦をあげ、こう話した。
「高校最後の試合の最後のバッターが自分でした。得点は6対7、9回二死二塁、フルカウントで高橋 尚成君の外の真っすぐを見送って三振で終わるという場面を自分自身が経験しました。その悔しさがあったので指導者になりたいと思いました。
悔しさを原点に指揮を執り、監督として甲子園の決勝戦まで上り詰めた。当時を振り返り、「(修徳との)決勝戦では『なんとかしなきゃ』という気持ちが強すぎたと感じています。それが指導者として同じような場面で慌てている選手がいた時に、どう考えるかが繋がっていると思います」と自身の経験を選手達に還元しているという。
一方の和泉監督も「負けた試合の方が覚えている」と、自身の高校野球最後となった高校3年時夏の4回戦・日体大荏原戦について振り返った。
「ピンチの場面でインコースの真っすぐを要求したんですけど、ピッチャーが首を振ってインコースのスライダーを投げたところ、逆転を許して負けてしまいました。今思うとあそこが勝負所だったので、タイムをかけてバッテリーが共通認識を持って腕を振らせた方がいいと感じました。
監督としては2006年に斎藤 佑樹で優勝した際、再試合でマー君(田中将大)との対決で、ファールで粘られたときに、白川(英聖・捕手)が打席の途中でマウンドによって確認してから外の真っすぐで三振を奪って優勝が決まりました。全国制覇のかかる場面でよくマウンドにいったなと。自分を越えているなと思いました」
自身の苦い経験から、間接的に間を取ることの重要性を説いていたという。結果として、指揮官から教え子に引き継がれ、優勝に繋がったエピソードを披露するなど、名将ならではの秘話を明かしていた。