愛媛県立三瓶高校――。1920年、大手海運会社「商船三井」の創始者である山下 亀三郎が設立した「第二山下実科高等女学校」に起源を発し、1948年に愛媛県立となってからは塀内 久雄氏(元ロッテ)をはじめNPB、アマチュア球界にも数多くの選手たちを輩出してきた南予地区の伝統校だ。しかし、少子化の波には逆らえず、2020年度からは宇和高校三瓶分校に。そして今年度限りで105年の歴史に幕を閉じることになった。
現在は宇和の一員としてプレーする三瓶分校の野球部員も3年生右翼手の宇都宮 吏聖の一人だけである。
この“三瓶最後の夏”を前にして、一人のOBが立ち上がった。
「(自分の野球人生の中で)一番、高校野球の3年間が記憶に残っているし、今でも高校野球の仲間とは会うことが多い」
そう語る明徳義塾・馬淵 史郎監督である。
以前から折に触れて「いつかは母校に帰って指導をしてみたい」と語っていた68歳の馬淵監督は、6月10日、50年ぶりに足を踏み入れた母校の体育館で記念講演会を開いた。
全校生徒、OB・OGらを前に「馬淵史郎の教え」を惜しげもなく披露。その上で地域と連携を図り、明徳義塾と母校が対戦する「宇和高校三瓶分校閉校記念招待試合」を企画したのだ。
当初6月9日に予定されていた試合は雨天により中止となったが、6月28日に仕切り直しの一戦を設定した。
この日、明徳義塾ナインは翌日に高知大会抽選会を控えた主将・平尾 成歩内野手(3年)を除く主力選手全員が愛媛県宇和球場にやってきた。
しかし、残念なことに再び雨天中止。
「宇和とはまた対戦できるが、『三瓶』の付いた選手がいるチームとはもう対戦できないかもしれんからなあ」と名将も無念の表情を浮かべていた。
その後行われた記念式典では、
「今日は試合をできませんでしたが、甲子園で試合ができるように頑張りましょう」
と語った馬淵監督。
宇和の主将・二宮 侑也捕手(3年)と明徳義塾の副主将・竹下 徠空内野手(3年)がペナント交換をしたうえで、両校は記念撮影を行った。選手・スタッフのみならず、応援に駆け付けた三瓶分校の一般生徒とも馬淵監督は気軽にファインダーに収まっていた。そして馬淵監督は、三瓶分校唯一の野球部員・宇都宮 吏聖と固く握手を交わしたのだった。
「母校が無くなるのは本当に寂しいが、これからは三瓶地区出身の野球選手がどこかの学校で活躍してくれれば。宇都宮くんも今はできることを精一杯頑張って上を目指してほしい」(馬淵監督)
甲子園通算54勝指揮官の故郷への想いは、母校野球部“最後の後輩”へ確かに伝わったはずだ。