2024年秋の鹿児島県大会3回戦、隼人工は鹿児島情報に競り勝ち、8強入りを果たした。08年春以来、16年半ぶりの快挙だった。2年前、秋の県大会初戦で樟南二に11―15で敗れた頃からするとチームが格段に強くなっており、何より部員の数が違う。
当時は1、2年生で6人しか部員がおらず、他部から助っ人を借りての出場だった。今はベンチに選手が20人いるだけでなく、メンバー入りできなくてスタンドで応援している部員もいる。2年前まで9人ギリギリの状態が続いていた隼人工に何があったのか?
「今までにないぐらい中学校を周りました」
22年4月からチームを指揮する新開剛監督は言う。選手勧誘の基本中の基本を地道に繰り返したことが今につながったと胸を張る。
初任の枕崎から古仁屋、武岡台、吹上で監督を歴任してきた新開監督だが、部員減を肌で感じるようになったのは15年に吹上に赴任してからだったという。最初は3学年で44人いたが徐々に少なくなり、20年秋には14人チームで8強入りを勝ち取ったこともあった。「野球をやっている中学生がどんどん少なくなっていった」ことを感じつつ、最後の代は1、2年生7人で次の監督にバトンをつないだ。
敗因は人数不足
2年前、赴任当初の隼人工の部員は3年生7人、2年生3人、1年生3人。3年生が抜けたら秋からは9人そろわなくなる。前述したように秋は6人の部員とソフトボール部、バドミントン部などから応援を借りて9人ギリギリで出場し、樟南二と壮絶な点の取り合いの末、11―14で敗れた。
「後から試合を振り返ると、敗因は詰まるところ人がいないことに行き着きます」と新開監督。「戦力」が決定的に足りず、日頃の練習でもやれることが限られ、準備不足にならざるを得ない。
週4日の中学校訪問
就任前から秋以降そういう状況に陥ることは分かっていたので、赴任した4月の時点から翌年以降のことを見据えて、中学校訪問の活動を始めていた。
学校に連絡して「おじゃまさせてもらいます」とアポイントをとり、練習や練習試合を見学する。規定上、中学生に声を掛けることは禁止なので、ひたすら見ることに集中する。指導者と会話することも極力控え、選手たちを観察し続けた。
隼人工には寮がないので、生徒募集は家から通える姶良・伊佐地区内が中心になる。「地区内の学校で野球部があるところは全部回った」
隼人工・新開監督
野球部の練習をオフにしている月曜日、は山田和久部長に練習をお願いする木曜日、新開監督は中学校を見学に行く。土日は終日練習を組むことはないので、午前か午後のどちらかの時間、練習試合の合間を見つけて中学校に足を運ぶ。週4日の中学訪問が新開監督の「ルーティーン」になった。
幸いなことに姶良地区は空港が近く、県内のどの場所に移動するにも便利なこともあって、人口減少が慢性化している地域が多い中で、人口が増えている恵まれた環境にある。野球部が活動している中学校も比較的多い。
地域内の高校事情としては、強い野球部に行きたいなら近年安定して県上位の成績を残している国分中央の人気が高い。大学進学を考えるなら加治木や国分、同じ工業系なら野球部の実績、伝統で加治木工の人気がある。強豪私学がない分、公立校同士の競争が激しい地区である。
野球をしている中学生に、進路先として「隼人工」を選んでもらうためにはどうすればいいか? 学校の近くにJRの駅があり、踏切を渡れば、霧島市の繁華街も近い。立地的な環境は他の学校に負けない良さがある。監督が指導力を発揮し、魅力ある野球部を作れば、選ばれる学校になるはずだと新開監督は考えた。