甲子園を目指す!

「最初は不安だったけれど、同級生に恵まれ、良い雰囲気で野球もできて、入って良かったと思います」と小島蓮主将(2年)は言う。隼人中時代、高校は野球よりも将来、航空整備士になることを考えて進学先を検討していたが「一緒に野球をやらないか」という新開監督の「熱意」に動かされた。

段ボールを使ったティー打撃

普段の練習は新開監督が工夫を凝らし「やらされる練習よりも、自ら工夫してやる練習」を目指す。雨でグラウンドがぬかるみ、土の上で練習できない時はコンクリートの上でテープを巻いたボールを使用する。2人1組でゴロを捕球する形をまずやってから、ノックを受ける。下がコンクリートで打球が速くなる分「強豪私学の打球をイメージできる」(新開監督)。

 ボールではなく、段ボールを使ってティー打撃をするのも、雨天時に狭い場所を使って打撃練習をするための工夫だった。

 24年の秋は8強入りし、21世紀枠の鹿児島県代表校に選ばれた。「自分たちのやってきたことは間違いじゃなかった」(小島主将)自信が持てた。準々決勝では鹿児島実を相手に終盤まで2―2の同点だったが、9回にエラーを皮切りに2点を失い4強入りを逃した。「最後の粘りが足りなかった。春はもっと力をつけて、結果を出し、夏はみんなで甲子園をつかみたい」とエース浅井は言う。

「今、いろんなことを楽しく感じながら、野球ができていると思います」と新開監督。夏の甲子園2年連続4強の神村学園を筆頭に、鹿児島実樟南鹿屋中央鹿児島城西といった強豪私学が甲子園の代表校に名を連ねるが「僕たちが甲子園に出ることで、公立でもやれるんだと他の公立校に勇気を与える存在になりたい」と小島主将は張り切っていた。