第97回選抜高校野球大会(センバツ)は3月18日に開幕(阪神甲子園球場)を迎える。大会開催を前に、出場校の過去のセンバツの戦いぶりを振り返る「出場校あの日・あの時」を紹介していく。今回は、二松学舎大付(東京)が準優勝した1982年の大会を振り返る。

 ノーマークの高校が快進撃を見せる。二松学舎大付はそんな勝ち上がりを見せて準優勝を飾った。その「主役」は、現在、二松学舎大付のユニフォームを着て、ベンチで采配を奮っている市原勝人監督だった。

 左腕エースだった市原は、初戦で長野(長野)を相手に6安打完封勝利を飾ると、2回戦では鹿児島商工(鹿児島=現・樟南)を1点差で振り切って完投勝利。郡山(奈良)との準々決勝は粘りの完投で、チームの逆転劇を生んだ。

 準決勝は、野中徹博投手(元オリックス、中日など)、紀藤真琴投手(元広島など)の2枚看板を擁する中京(愛知=現・中京大中京)が相手。優勝候補に挙げられていたチーム相手に、市原が1失点完投勝利を挙げる。野中-紀藤の豪華リレーに投げ勝ったのだった。

 決勝こそ、PL学園(大阪)の前に、市原が序盤から打ち込まれて大敗を喫して準優勝に終わったが、市原に引っ張られた「無印軍団」が、センバツでさわやかな風を吹かせた。ちなみに、このチームからは、尾鼻晃吉捕手が日本ハム5位で、三塁手だった上地和彦内野手がヤクルト5位で、それぞれ指名されてプロ入りを果たしている。

 前年1981年秋の東京都大会決勝。早稲田実が優勝したが、決勝で逆転負けを喫していたのが二松学舎大付だった。悔しい思いをした市原が、翌年のセンバツで悔しさを晴らす投球を見せたことになる。早稲田実のエースは、「大ちゃん」フィーバーが巻き起こっていた荒木大輔投手(元ヤクルトなど)で、当然、センバツでも早稲田実が話題の筆頭だった。市原をはじめ二松学舎大付ナインは、その陰に隠れていたが、大会が終わってみれば8強に終わった早稲田実と立場は逆転していた。

 昨年秋の東京都大会決勝で、早稲田実にサヨナラ勝ちした二松学舎大付が、今度は東京王者として今センバツ出場を決めた。43年前の東京都大会での「雪辱」を果たした市原監督は、今春、43年前のセンバツでの「雪辱」にも挑む。

1982年センバツ二松学舎大付のスコア

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