昨年、センバツ優勝を果たした健大高崎は、センバツ8回、夏4回甲子園出場。昨夏までに甲子園通算20勝を挙げる名門校へ成長した。
近年はチームの強さだけではなく、卒業生進路にも注目が集まっている。健大高崎は野球継続希望の選手が多く、これまで日本大、駒沢大、国士舘大など東都だけではなく、日本体育大、東北福祉大など各リーグの強豪で継続する選手も多い。毎年20人以上が硬式及び準硬式でプレーしてきた。
また、早稲田大の小澤 周平内野手(新4年)、法政大の小玉 湧斗投手(新2年)、明治大の半田 真太郎内野手(新2年)と、東京六大学に進む選手も増えてきた。
健大高崎は大正、昭和からあった伝統校ではなく、02年(平成14年)に創部した歴史の浅い学校である。創部当初は専用グラウンドもなく、強豪大学野球部との強い関係もなかった。わずか20年ほどで、全国を代表する名門校に相応しい実績を残し、各大学との強力なネットワークを築き上げ、卒業生の進路も強くなった。創部当初から監督を務め、一からチームを強くしてきた青柳博文監督に進路サポートについて語ってもらった。
秋の大学野球部練習参加が選手の進路先を左右する
「まだ甲子園に行く前は秋の大会が終われば、いろんな大学さんに電話して、練習に参加して、顔を覚えてもらっていましたね」(青柳監督)
創部当初、専用グラウンドがまだなかった健大高崎はなかなか県内でも実績を残せなかった。もちろん、今のように強豪大学から声がかかる選手も少ない。
甲子園出場だけではなく、選手たちの進路も強くしたい思いで青柳監督は大会が終われば、大学に電話をかけ、空いた時間で、選手たちは大学野球部の練習に参加し、少しずつネットワークを広げていった。
11年夏、初めて甲子園出場し、12年センバツではベスト4に進出。全国でも実績を残すようになったことで、選手たちの進路も広がりを見せる。12年センバツの正捕手だった長坂 拳弥(阪神)は青柳監督の母校・東北福祉大に進んだ。
ここまで進路先が広がったことについてОBのおかげだと青柳監督は感謝する。
「今の後輩たちがいろんなリーグの大学にいけているのは、それまでの先輩たちが4年間、問題なく野球部の活動をやり通して、卒業したから。たとえ控え選手で終わったとしても、チームのためにやり通せば、大学野球部の信頼を得ることができます。大学野球部に進むということは、健大高崎の代表として行くことです。先輩たちはそういう自覚を持って、大学4年間をやり通したことで、大学野球部さんの関係性も深まったと思います」
大学野球部の練習に参加するのは、今も健大高崎にとって重要な活動だ。2年秋の県大会までに公式戦が終われば10月から、関東大会が終われば11月から2月下旬まで大学野球部にアポイントを取って練習に参加する。選手たちが希望する大学野球部、リーグをヒアリングして、練習に参加する大学を決めている。この時期から積極的にアプローチをしなければ、希望の進学先に行けないのだ。
「強い大学ほど推薦で取る選手を決めるのが早いですね。特に東京六大学、東都は非常に早いですし、相応の実力が必要です。この2リーグは、センバツと春の大会でほぼ決まり、夏の大会では空いた推薦枠を埋めるために大会を見に行くと聞いています。去年もそういうケースで、甲子園に出場して、東都に決まった選手もいました。
最後の夏だけ活躍したから進路が大きく広がるわけではなく、他の大学リーグも早めにアピールすることが必要です」(青柳監督)