27歳の若さで引退を決断

 移籍後は投球フォームを変えるなど試行錯誤を重ねた。まさしくゼロからのスタート。チャンスを掴むべく工夫を凝らしていた。

 しかし、新天地で一軍昇格は果たせずプロ9年目のオフに非情宣告。同年に現役引退を発表した。

「まず自分に自信が持てなくなり、自分のボールが投げられなくなった。栗山監督に言われてゼロからスタートして、僕なりに努力はしてきたんですけど、うまくいかなかったです。でもこれだけやったと自分の中での覚悟もあったので悔いはなかったです」

 日本ハムでの2年間は登板がなかった。現役最終年の終盤は来期についてうすうす気づいていた。

「クビになる年は、シーズン後半の起用法でわかるんですよね。オールスター明けぐらいから自分でも今年だめならってわかるんで」

 当時27歳と若くしての引退決断。闘志は消えていなかったが、自ら現役生活にキッパリと別れを告げた。

「まだ27歳でしたし、まだできるって気持ちはありました。でもここまでやってダメだったら無理だって思いました」

 今では、ともに切磋琢磨した88年世代の選手は、同期でもあり一番のファンでもある。

「同期を見ていたら現役生活を続けたい気持ちもありますけど、逆に今はもう応援しているファンみたいな感じです。マー君にしても、勇人にしても、マエケンにしても。勇人には3000本打つまでやめるなよって言ったら『おう頑張るわ』って言ってましたね(笑)」

現在は地元埼玉で100人以上を抱えるスクールを開講!

 現在は地元埼玉の上尾市で『TAKARAベースボールアカデミー』の塾長としてスクール活動を行っている。小中学生を中心に高校生、大人まで幅広い世代を100人以上受け持ち、プロの経験を若い世代に伝えている。

 そんな増渕氏は「怒らない」指導方法をとっている。大事なのは「子供をやる気にさせる」こだと説明する。

「僕もどちらかというと子供に対してガンガン教えるのではなく、自分の中で考えさせる指導方針です。親御さんからはもっと厳しくやってくれと言われることも全然あるんですけど、そういう前にまず子供たちが主役なので。子どもたちを第一にやりやすさを提供しているようなスクールです」

 そんな増渕氏のアイデアで始めたのが生徒との交換日記だ。会話や行動だけでなく、文章を通じて交流を図った。

「僕が小学校のときも言いたくても言えない、話しかけたくても話しかけられないって気持ちがありました。そういう子も沢山いるなと思ったので、1ヶ月に1回交換することでそれが記録となって、一回悩んだときにふと読み返してみるといった感じで取り入れました」

 スクールでは学生と親しげに絡む姿も印象的だった。「子供たちも『お友達感覚でいい』と入る時に言っています」と話していた通り、室内練習場は生徒とともに野球を楽しむような雰囲気に包まれていた。とはいえバットを一振りすれば元ドラ1投手の面影をひしひしと感じさせる快音を響かせる。それがこのスクールの良さなのかもしれない。

 在籍していた生徒には甲子園出場者も多く、ハッブス 大起投手(東北ENEOS)や平尾 柊翔外野手(春日部共栄ー八戸学院大ーくふうハヤテベンチャーズ静岡)ら、ドラフト候補もここで腕を磨いた。

 昨秋のドラフトでは西川 歩投手(山村学園)が巨人の育成5位で指名された。スクール生初のドラフト指名に、「(指名された瞬間は)普通にスクール中だったんですけど、ずっと見ていました。嬉しかったですし、良かったなっていう気持ちが一番です」と胸をなでおろした。「投球フォームに無駄がなく、小柄ですけど腕の振りが良くていい球も行っていました。今後も楽しみです」と教え子に、エールを送っていた。

 88年世代もベテランの領域に入った。プロで活躍する同期に負けず、今後もスクール活動を通じて甲子園、そしてプロ野球選手に挑む若い世代のために尽力していく。