オフシーズンの雪山登山。それは、愛工大名電の倉野光生監督が長年続けてきた「ライフワーク」だ。厳しい環境に一人で挑む理由、それは単なる冒険や趣味ではない。雪山での経験は、彼が指導者として、そして一人の人間として何を大切にしているのかを象徴している。
雪山との出会い――一声がもたらした原点
倉野が雪山に挑むきっかけとなったのは、意外にも雪のない山だった。最初に登った山には、0から10の番号でルートを示す標識が設置されていた。
「1つ進むごとに自分の心境が揺れるんです。3まで来たときには、すでに疲れ切って『もう頂上に着いたのでは?』と感じるほどでした」と語る。
山頂間近で倉野は一度足を止めてしまう。しかし、その時、山小屋のテラスにいた中年女性からの「頑張れ!もう少しよ!」という一声が心を動かした。
「その一言で最後の30メートルを登りきれたんです。その経験が、『声をかけるタイミング』の重要性を教えてくれました」と振り返る。
その後、冬の雪山へと挑戦するようになった。「10月の秋山で感じた達成感が、さらに厳しい雪山に挑むきっかけになったんです」と語る。
雪山での挑戦――白と黒の世界
「雪山は白黒の世界なんです。色がなく、ただ自分の足跡と風景だけがある。その中で進むべきか、戻るべきかを常に判断しなければならない」と倉野は言う。雪山の厳しさは想像を超えるものだ。視界を奪う吹雪や、命に関わる低体温症のリスク。雪のない夏のハイキングコースが、冬には全く異なる表情を見せる。
特に初めてのルートを進むときの不安は計り知れない。
「自分の計画が正しいのか常に疑問を抱きます。でも、それが野球と似ているんです。試合でも計画が成功するかどうかはプレーボールをして初めて分かります。雪山ではその疑似体験ができるんです」
雪山での経験は、倉野監督の野球哲学に深く根付いている。
「雪山では進むべきか戻るべきか、自分の判断しか頼れません。それは、野球で選手たちにどのように接するべきかを考える手助けになります」と語る。
特に雪山で必要とされるのは「柔軟性」だ。
「道を選ぶときには、すべての可能性を考えなければなりません。選手が直面する課題や不安を想像することと同じです」
例えば、選手が不安に思っているとき、どのような声をかけるべきか。「山頂手前での一声のように、タイミングと内容が重要です」と倉野は強調する。
「標高が上がると、それまでの自分の挑戦が小さく見えるようになります。1500mを登ったときは1000mが大変だったと思いましたが、2000mに達すると1500mが取るに足らないものに感じます」
野球でも同様の経験を選手たちはしている。小さな成功体験が積み重なり、やがて大きな困難に直面したときに役立つ。その過程を、倉野は標高の変化に例える。